2010年問題

「人に百歳の長寿なく、社会に千載の命なし」と喝破した徳富蘇峰は、56歳から90歳までの34年間でライフワークである世界最大の著作「近世日本国民史100巻」を書き上げ、95歳まで生きた。


昨年末に95歳で永眠した経営の神様P・ドラッカー著作のベストセラーの数々は、実に60歳以降の作品が大半だった。


75歳で「富嶽三十六景」を完成した葛飾北斎は、90歳の死ぬ間際には「もう10年余命があればなあ」「もう5年生きられたら本物の絵描きになれるのに」と死の直前まで画風を変革しながら絵を描き続けた。


日本地図づくりに挑んだ伊能忠敬は、隠居して江戸に出て天文学の修行をしようとしたが、反対する家族に「いや、わしは五十一歳になったばかりだ」と若さを強調していた。


冒険野郎・三浦雄一郎の父で今年101歳で亡くなった三浦敬三さんは死の直前まで現役のスキーインストラクターとして活躍中だった。


聖路加国際病院理事長の日野原重明さんは90歳を超えてからベストセラーを連発したが、3年先まで埋まっている手帳を持っている。