「邪馬台」横松宗先生追悼号 その二



いつの頃からか、先生は私にしきりに「研究者になりなさい」と勧めるようになった。企業に勤めながら本を書いたりしている私の動きを見ておられてそう勧めていただいていた。その頃はそういうことができるのかどうか半信半疑で聞いていた。その後、四十代の半ばになった頃、思いがけず宮城県の県立大学創立に当たって声がかかり、平成九年に早期退職して仙台で宮城大学に奉職することになった。このことを先生はことのほか喜んでくれた。そして、折に触れて、教育・研究のことや大学での役職の心得や処世術について学長経験者としての有益なアドバイスをいくつもいただいた。


平成十三年に父(久恒照智)が亡くなった時は、弔辞を読んでいただいたことも忘れられない。父の数少ない友人として、父のことをよく理解された弔事は本当にありがたく思い、その内容はすべて私のホームページに入れてあり、時折読んでいる。(http://www.hisatune.net/html/05-career/private/titi.htm

以下、その一部を引用する。