宮崎駿を巡る小論

ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」「千と千尋」「もののけ姫」と続く名アニメーションの数々を世に送り出した偉大なアニメーション監督・宮崎駿の記念館はまだない。中央線の三鷹駅で降りて、太宰治が自殺した玉川上水に沿って歩くと井の頭公園の一角にある「三鷹の森 ジブリ美術館」に着く。宮崎駿を知るための直接の資料はほとんどないが、館主という肩書き表示で存在していた。


広い空間をどのようにまわるのかと迷っていたら、「決められた順路はありません。順路を決めるのはあなたです」「この空間を心から楽しみ『迷子』になってくれる主人公を、心より歓迎いたします」との表示がパンフにあった。ここは珍しい日時指定の予約制の美術館だが、春休みだけあってやはり子ども連れの家族が多い。どの子供たちの顔も楽しそうだ。


半地下には映像展示室「土星座」、1階は中央ホール、2階は常設・企画展示室で1973年のハイジなど作品の一部が展示されている。また映画づくりの現場も見せてくれる。アニメーターの条件というのが書いてあって「絵がかける」「人や物の動きを理解し表現できる」「作業能力がある」そして「職人的な素養」、加えて「生命への愛情」と書いてあった。3階は、ネコバスルーム、ショップ「マンマユート」、外付けのラセン階段をのぼると屋上庭園に着く。1階のパティオ(中庭)と3階の鉄橋からは「麦わらぼうし」というカフェにいける。


本には「やはり子ども向きのいい映画を作るっていうスタジオにしておこうと思うんです」との記述がある。子供達に励ましや世界を美しいと思うすべを教えたいという。宮崎駿は子供達に未来への希望を伝えようとしているのだ。

アニメーションの分野では日本の漫画から出発したのではなくディズニーから出発したとして先達の手塚治虫を厳しく批判する。少しでもレベルが高くなって観客を出したいというのが宮崎駿の考え方だ。だから楽しみながらいつの間にか観客が階段を昇ってしまう作風のチャップリンを好む。

機会があって「紅の豚」のプレス発表会の時の会見で本人をじかに見たことがある。当時宮崎駿という名前に、あるイメージを抱いていた私は、普通のおじさんだったのに拍子抜けした記憶がある。


縄文中期に農耕があったと主張し「かもしかみち」を書いた藤森栄一、その藤森説を実証して照葉樹林説を唱えた中尾佐助、「植物と人間」を書いた実践家・宮脇昭、日常生活の統一感が見事な宮澤賢治、「感じのいい日本人」を書き続けた司馬遼太郎、こういった人々が宮崎駿の思想の源泉だろう。


盟友のアニメーション監督・高畑勲の言葉が、アニメーションという天職に全身全霊で取り組む宮崎駿のすべてを語っているように見える。

宮崎駿はすごい働き者である」「宮崎駿の頭は大きい」「宮崎駿とのキャッチボールは大変である」「宮崎駿の頭脳はいつも忙しい」「宮崎駿は苦労人である」「宮崎駿は極端な照れ屋である」「宮崎駿は平気で暴言を吐く」「宮崎駿は思い入れの人である」「宮崎駿はとことん具体性を重視する」、、、、、。


過剰表現主義と動機の喪失が日本のアニメーションを腐らせているという宮崎駿は、継続的にアニメーションを作り続ける母体としてスタジオ・ジブリをつくった。優れた表現者であると同時に、経営者としてもこの組織を続けることにも注意深く力を割かねばならない。時代を駆け抜けて大きな存在になってきた宮崎駿も、もう65歳。「日本を舞台にした時代劇」というテーマを持っているとのことだ。私たちはこの人物と同時代を生きて次々と出る新作を最初に観ることができる幸せを、もうしばらくは持ち続けることができそうだ。