「この国のけじめ」(藤原正彦)から

「『国家の品格』が、思いがけず広く受け入れられることになったからである。以来、執筆、講演、インタビュー、テレビやラジオの出演の申し込みが殺到している。毎日十個もお断りするという日々が続けば誰でも意地悪な顔になってくる。」

「ベストセラーは一過性と相場が決まっている。嵐が過ぎれば元通り、私のことなど世間は鼻もひっかけなくなるだろう。」

「わからない者は読まなくてよい。わかる者だけが読んでくれればよい。」


  以上は「あとがき」の言葉である。



「若いころ、父のようにはなりたくない、といつも思っていた。」

「父は、、、朝7時半に玄関を出てから夕方6時過ぎに帰るまで、気象庁の仕事に打ち込んだ。帰宅し、夕飯を終えると、7時のNHKニュースを見てそのまま二階の書斎に入り、12時過ぎまで執筆する、という毎日だった。」

「注文を断ることはほとんどなかったのではないか。」

「父は、富士山レーダー完成を置き土産に34年間勤めた気象庁を退職した。53歳だった。その後67歳で逝くまで、思い通りに著作に専念することができた。二足のわらじ時代とほぼ同じ勤勉さを維持したから、書く量は格段に増大した。」


  以上は「父新田次郎と私」の言葉である。




藤原正彦氏が180万部を超えたベストセラー「国家の品格」で著名になってからの行動は、養老孟司先生や日野原重明先生ら超ベストセラー作家たちの動きとは少し違うところがある。先の2人は、その後ありとあらゆるメディアに出ずっぱりになり、毎日彼らの言葉や写真、映像を私たちは見ていた。ところが藤原氏はそれほど表に出てこない。自身の行動を制御している感じがする。それはやはり父親の凄まじい生活を身近に見ていたからではないだろうか。二代目の智恵である。肉体的健康と精神的健康のために、「自制」しているのだと思う。いい作品を書くが寡作であるという線だろう。こういう人の作家寿命は長いはずだ。