鴎外荘 

上野駅から徒歩10分、上野動物園の裏手に森鴎外旧居跡がある。現在は水月ホテル鴎外荘というホテルになっているので、今回の東京での宿泊はここにしてみた。


このホテルから千駄木方面にのぼっていくと鴎外記念本郷図書館夏目漱石旧居跡、谷中方面に歩いていくと朝倉彫塑館がある。根津から東大の方向には立原道雄記念館、竹久夢二美術館があり、そして湯島の方に下っていくと、横山大観記念館、旧岩崎邸庭園などが散在している。


このホテルは、森鴎外(1862−1922年)が28歳で海軍中将赤松則良の長女赤松登志子と結婚して根岸から移ってきた平屋と庭を囲って建物を配している。この平屋が鴎外荘と呼ばれている家で、文壇処女作「舞姫」を書いた場所である。玄関から入ると、15畳・10畳・10畳の三間がふすまで区切ることができる大きな空間に入る。鴎外の書いた舞姫の出だしの文章があったが、ここには「森鴎外林太郎著」と記されていた。この家で鴎外は陸軍の軍務の傍ら、「うたかたの記」、「浮舟」、新体詩集「於母影」を書き、於母影の印税50円で「しがらみ草子」という文芸雑誌も発刊している。


ここには、幸田露伴内田魯庵などの友人が訪れたが、女中が客に時間を聞かれ「もう十二時過ぎです」とこたえると鴎外は「なぜ十二時を過ぎたばかりですといわぬ」と叱ったというエピソードが残っていた。文学の友人たちとの交流は鴎外にとて大事な時間であったことを物語っている。


奥の間から左に折れると、洋風の客間があり、立派なテーブルとやや重い椅子が並べてある。更に廊下を行くと蔵があり、ここには鴎外関係の資料などが展示されている。このホテルの中村菊吉という社長が鴎外旧居を残す手だてを考えたのだそうだ。


鴎外荘は現在では、夜は宴会場として賑わっていた。


鴎外関係では、本郷区図書館の鴎外記念室、愛知県の明治村にある家をみたことになる。明治村に移築された建物は、鴎外が住み、後に夏目漱石が住んだという曰くつきの家だった。この界隈にあった夏目漱石旧居とは、実は森鴎外旧居でもあったのだ。



水月ホテル鴎外荘は中高年の客だらけだが、結構混んでいる。部屋には難点があるが、総檜づくりの浴室を持つ気持ちのいい温泉があり、鴎外荘とあわせてなかなか風情があり気に入った。