歌人「扇畑忠雄展--学と芸の綜合」(仙台文学館)---老いてなほ美しきものを吾は見む 若かりし日に見えざりしもの

長年にわたり東北の歌壇をリードし続けた扇畑忠雄展が仙台文学館で始まった。1911年(明治44年)に中国の旅順で生れた扇畑は、広島高校時代に19歳で「アララギ」に入り、短歌の道を歩み始める。教師となった扇畑は1942年(昭和17年)、31歳のときに仙台の第二高等学校に赴任する。1946年(昭和21年)には、「東北アララギ会」を結成し、歌誌「群山」(むらやま)を発行し、東北を基盤として旺盛な創作活動を開始する。その2年後には現在の佐藤利枝と再婚する。この扇畑利枝も有名な女流歌人である。

39歳のときに東北大学助教授となる。扇畑は宮本憲吉、斉藤茂吉土屋文明という大御所の教えを受けている。46歳、東北大学教授、56歳教養学部長となるが数年間大学紛争収拾に奔走。刑務所や療養所での作歌指導、河北新報などでの選にあたる(選者として目を通した歌は数百万首に及ぶ)。78歳で日本現代詩歌文学館岩手県北上市)館長に就任し89歳まで11年間つとめる。2005年に94歳で死去。


13日のオープニングの日の午後に訪ねたのだが、ちょうど扇畑の主宰した「群山」(むらやま)の同人の会が開かれていた。かなりの年配の男女の歌人たちが参集している姿を眺めた。これらの人々は扇畑の残した遺産だろうか。


2003年のときに北上市で開催された「扇畑忠雄展」で挨拶をする92歳の扇畑の姿が館内のビデオで見ることができた。大きな目が印象的だ。

京都大学時代の恩師から「学と芸との綜合を目指して欲しい」と激励を受けた。扇畑はこの教えを生涯忠実に守り抜いた。そのことは今回のテーマに同じタイトルがついてることからもわかる。学とは学問研究のことで具体的には万葉集研究であり、芸とは創作のことで具体的には作歌活動である。


仙台市内、県内各地の小学校、中学校、高校、大学の校歌の作詞も手がけており、展示しているものでは、八乙女小学校、台原中学校、宮床中学校、将監小学校、東北福祉大学などの校歌が目についた。八乙女小学校の校歌には「泉ケ岳」、宮床中には「七つ森」など地元の自然が詠み込まれている。


「追悼集」がテーブルに置いてあったので手にとってみると、渡辺礼子という名前が目に入った。宮城県歌人協会副会長とあったが、この人は私の母の歌の友である。この正月にも母と二人で歓談したときに送っていったので会っている。その追悼文は「望郷の人」というタイトルである。

「春の野にわが行きしかば草なびけ泉かがやくふるさとの道」という宮中歌会始の応制下歌を題材に扇畑忠雄論を展開している。

「望郷の歌はふるさと回帰願望の求心力と遠心力の相克から生れていると私は考える」と実に素晴らしい分析をしている。また「真の「写実(りありすむ)とは「在るもの」を基として「在らざるもの」を層沿いすることである」とも喝破していることに驚いた。


この扇畑忠雄の一生を眺めて感じたことがある。この人は「続ける人」だったと思う。19歳で入会したアララギの継続、そしてその後70年以上にわたる短歌一筋の道、ときおり望郷の年に駆られながら60年以上にわたって東北の地に住んだこと、そして歌誌「群山」(むらやま)は、昭和21年から平成19年1月までで62巻通巻717号に及んでいる。実に62年にわたって続いているということになる。

この人の本質は、止められない、あるいは続ける人ということに尽きるのではないかと感じた。それが膨大な業績を生み、また同調者や後継者を生んでいく。94歳で亡くなるまで現役でいたらからその間に影響を受けた人たちの累積は途方もないことになってしまっている。続けることの価値だろう。扇畑の人脈と仕事を展望するとこのことを痛感する。そして歌人として高名な夫人・扇畑利枝の今後の活動も踏まえると、扇畑は東北の地に大きな財産を残したと感じる。


最後に示してある短歌で、私が気に入ったものを挙げたい。

・北の国に来り住まへつ六十年 わがたましひの鎮まりどころ

・ながらへてつひにみちのく人たらむ 流民のごとき生の道程

・ヘルメット奪ひ投げ合ふ学生群 荒廃のはての何の日のため

・反応なくノートにとられゆく言葉 世代へだってし寂しさのみならず

・偽装とは鶏肉のみにあらざらむ 政治家も学者も歌よみも亦

・これの世に仕残しこと在るごとく 又無きのごとく思ふのみにて

・ふるさとの果てのふるさと生まれたる 旅順はつねにわが胸に棲む

・戦争を放きしてわれら守るべき一つ平和を誰かうたがふ

・衰ふる視力はげますこの幾夜 いにしへの代の文学を拾ひて

・戦後10年をかりそめのものと思はざれ 「群山」一つ守り来たれば

・わが前に死刑囚二人素直なり 日本語の文法のことも尋ねて



「老いてなほ美しきものを吾は見む 若かりし日に見えざりしもの」

この歌はタイトルに挙げたが、大変こころに残った。