雑誌の編集という仕事は、なかなか奥が深い

連載している「ビジネスデータ」7月号が届いた。

この雑誌は市販されていない、70ページ強の薄い雑誌ながら、時代の先端のテーマと人物を取り上げており、編集長の慧眼に感服している。

今号は、連載20回目でグーグルの新サービスのiGoogleを俎上にのせてみた。


特集は「ファシリテーション。ノート」。そして44歳の200勝投手・工藤公康を論じた児玉光雄の「アスリートからのメッセージ」、個人資産より個人カンパニーをつくうと提唱した村田裕之の「団塊マーケットレビュー」などが目をひいた。



今月から始まった連載に興味を持った。山岡淳一郎の「大正アーカイブス---現代ビジネスの源流を歩く」がいい。現代ビジネスの多くはその源流を大正時代に発していること、明治維新の後にくる大正と復興・高度成長・経済大国の後にある平成の空気が似ている。大正を知ることは将来を予見するヒントを与えてくれるだろうというのが筆者の目論見である。


第1回目は本邦初の自然科学の総合研究所である「理化学研究所」である。

理研は63社、121工場もの企業群を擁するコンツェルンを形成したが、人材輩出の面で素晴らしい業績をあげている。


高峰譲吉理研を提唱、渋沢栄一は副総裁として財政を後押し、長岡半太郎は物理学の中心、仁科芳雄は現代物理学の父と呼ばれ、朝永振一郎湯川秀樹を育て、福井謙一にも影響を与えた、田中角栄理研産業団の工場建設を請け負ったし、日本医師会の武見太郎も理研の研究員だった。

危機に直面して選ばれた第3代所長の大河内正敏(東京帝大教授)の改革は際立っていた。

ピラミッド構造を粉砕し、主任研究員制度を導入。大学教授との兼任も認めた。学問の垣根を取り払う。女性の研究員を増員。組織改革のテーマは「自由と平等」だった。

そこで得たエネルギーを技術移転による製品開発に向け、一大コンツエルンを築く。

基礎研究と応用技術による起業が理研精神の両輪だった。


書いている山岡淳一郎という人はノンフィクション作家で、「人と時代」を共通テーマに執筆を重ねている。1959年生まれだから現在48歳。2007年1月に出した「後藤新平 日本の羅針盤となった男」(草思社)という好著は、このビジネスデータの連載を単行本にしたものだ。この本の後書きにはこの雑誌の編集長の名前があり、連載の場をもらったことに感謝する言葉がある。


雑誌の編集という仕事は、なかなか奥が深い。