凡人・凡才・平凡

偉人の語録を集めている。

書物を読みながら心に響く言葉を意識的にすくってきたが、大きな仕事を成し遂げた人物が自らのことを凡人・凡才と位置づけていることが多いことに気づく。


一介の庶民から太閤にまで昇つつめた豊臣秀吉は「一職を得れば一職、一官を拝すれば一官、心頭を離れず、ひたすらにそれをつとめしのみ、他に出世の秘訣なるものならず」という意外な言葉を残している。


彫刻界初の文化勲章受賞者である朝倉文夫は、「一日土をいじらざれば、一日の退歩である」と述べている。朝倉が努力の人であったことを思わせる言葉である。


東京駅八重洲口の人の行きかう通路の太い柱に「浜口首相遭難現場」という看板がかかっている。出張の折に通りかかるが、意識している人はまったくいないようにみえる。このライオン宰相こと浜口雄幸は「第一に余は生来極めて平凡な人間である。唯幸いにして余は余自身の誠に平凡な人間であることをよく承知して居った。平凡な人間が平凡なことをして居ったのでは此の世に於て平凡以下の事しか為し得ぬこと極めて明瞭である」と、心に響く名言を残している。


辛口の文芸批評で人気のあった小林秀雄は、「実行をはなれて助言はない。そこで実行となれば、人間にとって元来洒落た実行もひねくれた実行もない、ことごとく実行とは平凡なものだ。平凡こそ実行の持つ最大の性格なのだ。だからこそ名助言はすべて平凡に見えるのだ」と逆説的ではあるが真実の言葉を吐いている。


東芝の社長、会長をつとめ財界総理とまで呼ばれた名経営者・岩田弐夫は「平凡の凡を重ねよ いつかは非凡になる」と言った。味わい深い言葉である。


総理大臣をつとめたことがあり2・26事件で内大臣として凶弾に倒れた斉藤実は「わたしは決して、偉い人間でも何でもないんだ。まったく凡人に過ぎない。ただ何事も一生懸命努力してやってきたつもりだ。そうしているうちに、いつか世間から次々とドエライ椅子に押し上げられてしまっていたまでだ」と自らの人生を正直に述懐している。


凡人・凡才であることを自覚し、平凡なことをただひたすら実行していく。時がたつといつの間にか大きな仕事が完成している。

こういう型のリーダーは誰もが目指すことができるのではないだろうか。


(月刊ビジネスデータ8月号 連載執筆中の「ファシリテーションの技術」21回)