伝記と自伝は違う。
人がある人物について評伝したものを伝記といい、その人物が自ら自分の人生を語ったものを自伝という。子供時代からリンカーンやワシントン、野口英世などの伝記はずいぶんと読んだ記憶がある。最近になって優れた伝記もいいが、本人自身の言葉で語る自伝に関心を持つようになった。伝記には賛美型のものや書き手の解釈が入り込むので何冊読んでもしっくりこないことがある。一方、偉人の自伝には自己主張、自己弁護、隠蔽、などがつきものではあるのだが、何よりも本人が語る内容に魅力がある。
「作家の自伝」というシリーズが日本図書センターから出ている。第1期から第3期まで各20巻が出ており、その中の10冊ほどを手に入れて折に触れて私も読んでいる。このシリーズの監修者は、佐伯彰一と松本健一である。この佐伯彰一が書いた「「日本人の自伝」(講談社学術文庫)を読んだ。佐伯彰一は1922年生まれの東大教授で、アメリカ文学、比較文学が専門。
自伝という分野は思想論と文学論の合間にあり、きちんとしたジャンルとして今まで誰も研究してこなかった分野で、この佐伯彰一が開拓した分野である。この本のもととなった単行本は1974年に出版されているのだが、そこにいたるまで20年の歳月が費やされていた。この名著の後も、この分野は大きく発展しているとはいい難いようである。
詳しく読んだ部分は、以下の4人の自伝に関する評論だが、実に深い人間観察の連続である。
私が実際に読んでいるのは福翁自伝だけで、後の人物の著した自伝は名前しかしらないが、内容が手に取るようにわかる。いずれこれらの自伝は読まざるをえないだろう。
内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりし乎」---聖なる自伝
松平定信の「宇下人言」(うげのひとこと)---大ディレッタントの自我構造
それぞれの自伝の内容とその評価をここで詳細に語ることはできないが、書き手の人生の中核部分、心の奥底を覗き込み、本質をつかみ出す著者の腕は冴えている。勝小吉と鈴木牧之から始まって、内村鑑三、福沢諭吉、フランクリン、新井白石、山鹿素行、松平定信、そして江間細香(頼山陽の恋人)、只野真葛(滝沢馬琴の恋人)などの女性の運命と残した歌などを材料に女流の自伝についての論を進めてゆく。
佐伯の主題は、人はなぜ自伝を書くのか、である。