信州の人物記念館の旅ーーー長野・松代・小布施

朝食後、善光寺を歩く。宗派にこだわらない寺ということで様々の宗派が渾然と同居している。「月影や四門四宗も只一つ」と詠んだ芭蕉の句碑があったが、一番わかりやすい。また一茶の「春風や牛に引かれて善光寺」という句碑もある。


善光寺の近くにある長野信濃美術館・東山魁夷館を訪問し、この風景画家の作品に深い印象を受けた。61歳でドイツ・オーストリアの旅にでるがこのときの心境を記した言葉に感銘を受けた「このまま安定した歩みを続けることは老いを意味し、心の躍動を失うのではないか。命の鼓動を取り戻すべきではないか」

63歳で描くことを決心した唐招提寺障壁画では、鑑真和上との対話をする。山と海という二つの大きな主題である日本の風景を訪ね歩き、中国の風景を描く旅に出る。そして67歳で第一期完成、72歳で第二期を完成させる。この物語には大いに関心を持った。


次は松代の象山記念館を訪問。幕末の先覚者・佐久間象山の記念館である。地元では「しょうざん」ではなく「ぞうざん」と呼んでいる。海舟の序文で出版した「省けん録」を買った。「東洋道徳 西洋芸術」と言った象山は偉大な存在であるが、象山の記念館としては何か本質的なものを説明していないような気がした。隣の象山神社には9年の蟄居時代を過ごした「煙雨亭」もある。石碑には「余年二十以後乃ち匹夫も一国に繋るあるを知り三十以後乃ち天下に繋るを知り四十以後は乃ち五世界に繋るあるを知る」とあった。


同じく松代の池田満寿夫美術館を訪ねる。版画家、画家、彫刻家、陶芸家、芥川賞作家、エッセイスト、浮世絵研究家、日本画家、映画監督などの多彩な仕事をしたマルチ・アーチスト。没後10年特別展「天才・池田満寿夫を見なおす」をやっていた。50歳ころから「日本回帰」をしたのも印象深かった。63歳で亡くなったが生きていればもっと面白い活動をしたのだろう。


まちづくりで有名な小布施に向かう。

ここの名物は「」北斎館」である。31周年の今年で700万人の来訪者を達成している。80代半ばから北斎は高井こう山の招きを受けて、「富士越龍」などの肉筆画と、祭屋台の天井画を描いた。平成10年に開催された国際北斎展の寄せ書きをみると、ドナルド・キーンや中島千波などの名前が見える。北斎研究所もこの中にある。


近くの高井こう山記念館。北斎を招いた豪農商として有名だが、尊王攘夷論者としても有名な人物である。象山とも親友でここで月に数度も激論を交わしている。そのときに使った火鉢もある。


おぶせミュージアム・中島千波館。昭和20年この地で生まれた千波は大和絵風の作品を多く描いている。東京芸大の教授。


昨日は4館、今日は6館で、計10館、という強行軍だったが、概要だけ書いて、別途各館の詳細な訪問記を書く予定。