野上弥生子、吉丸一昌、(臼杵市)

別府の美術の館というテーマのホテルを出て臼杵市に車を飛ばす。

野上弥生子文学記念館。
このまちの酒、味噌、醤油業を営む小手川酒造に生まれた弥生子は15歳で上京し明治女学校の卒業と同時に同郷の野上豊一郎と結婚する。この結婚が作家、野上弥生子誕生の契機となる。夫を通じて夏目漱石の指導を受ける機会に恵まれる。22歳で「縁」を書いてから99歳で亡くなるまで70年近く小説を書き続ける。

デビュー作「海神丸
、20年かかった「迷路」、生涯の傑作「秀吉と利休」などを書いたが、この傑作は77歳から連載を開始し翌々年に賞を受ける。
昭和55年度の朝日賞の受賞理由は「70余年という世界にも類例のない長期の現役作家活動を続け、、」だった。
大江健三郎の原稿があった。「本当に知的な生き方ーー野上弥生子とこの百年」。芥川の言動に対して「、、、文人なら貧乏をするのはむしろ当然だ。、、、それが厭なら菊池さ(寛)さんのやうに勇敢にやっていくまでだ、、、」(文藝春秋、昭和6年)
「ねえ武ちゃん、立派な男にならなくちゃあ、臼杵の人の風なんか見ならってはいけません。」

吉丸一昌記念館 早春賦の館。1873年ーー1916年とあるから吉丸は43歳の若さで亡くなっている。東大国文科を出て、後に東京音楽学校の教授になる。
今も中学校の音楽の教科書に載っている「早春賦」や「故郷wを離るる歌」の作詞が吉丸の仕事である。展示している吉丸手帳には同郷の野上豊一郎の名前もみえる。

臼杵の石仏。
 国宝

宇佐神宮
 全国八幡宮4万社の総本社。