「水野美術館コレクションの名品より 近代日本画 美の系譜 --横山

東京駅大丸で開催されている「近代日本画 美の系譜 横山大観から高山辰雄まで」という企画展を観る。水野美術館は信州飯田出身の菱田春草の作品蒐集に力を入れており32点と全国一のコレクション。

長野県にある近代日本画をテーマとした水野美術館の所蔵画400点の中から60点を選んで展示する企画展である。水野正幸氏は、ホクト株式会社会長の実業家で、「日本画の醸し出す奥深い世界に魅かれ、仕事の合間にあちこちの美術館を巡り歩くうちに、この素晴らしさを多くの方々と共有できないものだろうかと考えるようになりました」と美術館創立の事情を語っている。

      • -

東京帝大で講義のため来日したアーネスト・フェノロサは、中国においては唐宋の時代が最も善美を極め、その流れを引く狩野派の系列を基軸に置くことを主張した。美術の本質は「妙想(アイデア)」であり、芸術一般の本質的属性である「「形状」と「旨趣」の上に、絵画には「湊合」と「華麗」という二つの属性がある。形状は絵画の場合、図線、濃淡、色彩の3つである。
 1.図線の湊合 2.濃淡の湊合 3.色彩の湊合
 4.図線の華麗 5.濃淡の華麗 6.色彩の華麗
 7.旨趣の湊合 8.旨趣の華麗
これに次の二つを加える。
 9.意匠の力  10.技術の力
以上の十格が絵画成立の基本的条件となり、これが絵画の鑑識と批評の基準となる。

油絵は写生的だが、妙想(アイデア)がなく、文人画の妙想は文学の妙想だから評価できない、と当時もてはやされていた油絵と文人画を排斥した。
狩野芳崖と橋本雅邦の二人がフェノロサに見出され、新時代に相応しい「日本画」創造に邁進することになった。
これが近代絵画としての日本画誕生劇の開幕である。
そして橋本雅邦、横山大観菱田春草、下村観山、川合玉堂らによる日本美術院の活動につながっていく。

                                • -

以下、巡った作品。

上村松園「かんざし」
横山大観「不二霊峰」
    「無我」(我の存在を否定すること。大観の出世作。無我を童子の姿で表現)
橋本雅邦「寒山拾得
下村観山「春秋」(「線の観山」。天心の頭脳が観山の手を動かした)
    「三猿」(「見ざる、言わざる、聞かざる」を目、口、耳が不自由な男として描く)
    「獅子図屏風」
西郷狐月
池田蕉園と池田輝方の美人画
菊池契月「歌舞図」
川合玉堂「晩帰」「清流釣魚」(「水を描く時には自ら水となる)
児玉希望「春月」
奥田元宋「月明秋?」
池上秀畝「歳寒三友」
秋山寧「三夕」「晶」
岩橋明治「実」「春座敷」
奥田元宋上高地」「月明秋耀」
高山辰雄「牡丹」「里」「朝凪の浜」
平山郁夫「静夜鹿苑寺金閣
大山忠作「遊鯉」
加山又造「雲晴れる」「猫と牡丹」「千羽鶴」(「又造の猫」と言われた)
横山操「赤富士」
山本丘人「紅葉の季」
堅山南風「朝の月」
    「横山大観先生」
山口蓬春「留園馬駘」「夏蔭」
川合玉堂「帆影」「渓村春雨」「鵜飼」
伊東深水「鏡獅子」「夜長」
鏑木清方「大川の虹」「花吹雪・落葉の時雨」
上村松園「汐汲み之図、、」夕べ」
菱田春草「羅渓山」
大観・春草の合作「旭日静波」

                                                            • -

全作品を通じて印象に残った作品は下記。

横山大観「無我」---1897年 
・下村観山「三猿」---1924年
・児玉希望「春月」---1948年
奥田元宋「月明秋耀」---2000年 米寿記念
・堅山南風「横山大観先生」---1957年
上村松園「夕べ」−−−1935年