31歳のときの日記が出てきた---最初の子どもの誕生のこと

書斎の片付けをしていたところ、昔の日記が出てきた。
31歳から32歳にかけての毎日の事柄や感慨が数行程度記されていて、懐かしくなった。

仕事のこと、知研活動のこと、異動のこと、事故のこと、出版のこと、などが
書かれている。
結婚して、仕事がようやく忙しくなってきた時代であり、当時のことがよみがえってきた。

最初の子どもの誕生のことが書いてあり、本人も含めみんなで笑いあった。

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1月14日。
 恭子からTEL 子どもが生まれる。9月初め。
 できたかあ、親になるのか、という感慨がある。
 夜は、知研。「危機管理のノウハウ」(佐々淳行先生)
 新宿で二人で祝杯をあげる。ひどい風邪。
8月26日。
 午前5時40分頃、電話に起こされる。
 「女児誕生、母子ともに元気」意外にあっけない。
 空ろな意識の中で、奇妙な、新鮮な、唐突な、おどろきをおぼえる。
 不思議な感じの中にいる。
 2時に厚生病院へ。
 体重が2495gと少ないので、未熟児病棟の方に入れられていた。
 「ハナが高い」」のはわかるが、あとは、誰に似たのか、さっぱりわからない。
 元気が良い。
8月28日
 「梓」と命名する。
9月4日
 出生届。
 梓は、ぐんぐん大きくなっていた。
 丸顔に近くなった。
 恭子の乳がよく出るので、どんどん飲む。

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その他。

10月24日
 本社勤労部への異動の話あり。しかし、仕事が最ものりきったところなので、断る。
11月24日
 この日記を書き始めてから丁度1ヶ月。勤労部への異動の話が終わったところから
 書き始めたのだが、何と1ヶ月後には、又、異動の話。
 羽田。客室本部業務部予算定員グループ。、、、、
12月21日
 客室本部へ初出勤。
 夜は、中村課長、村林さん、小野瀬さんとかまたで飲む。
 挑発にのって、しゃべりすぎてしまったようだ。
 意外、朝の電車は座れる! 有効活用が決め手だ。
2月9日
 羽田沖にて事故。
 9時頃から朝の2時過ぎまで羽田東急ホテルにて事故対策に没頭。
 自宅帰着は、午前3時。

7月30日
 「自分学のための知的生産術」(八木哲郎、久恒啓一、久保秀寧、竹内元一 著)
  TBSブリタニカ。
8月14日
 東京都武蔵野青年の家の研修会における講師を依頼される。
9月1日
 知研会議 四谷ルノアール
 「自分学のための知的生産術」(1200円)9月20日発売。
9月22日
 知研講演会。加藤秀俊先生。
 「自分学のための知的生産術」
 ついに本の本物をみる。
 1200円にしては少し安っぽい感じはするが仲仲良い本。
 32歳で処女作か。さて、がんばるぞ。

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当時はやった三年連続日記で重厚な造りの日記だが、最初の1年目のみ書き込んである。
当時は、結婚し、異動があり、子どもが生まれ、初めての本が出る、という疾風怒涛の日々で、ひたすら毎日を忙しく生きていたという気がする。