岡本太郎美術館

k-hisatune2008-08-31

岡本太郎記念館は、自宅のあった東京・青山にあるが、美術館は川崎市にある。川崎市岡本太郎美術館である。この美術館のある生田緑地には、枡形城址、日本民家園、青少年科学館などもあり、市民の憩いの場として親しまれている。
車で行ったのだが、専修大学やゴルフ場あたりからアプローチするが、車では入れない。眼下に美術館が見えるが階段が多く、足の悪い母親には無理なので、直接美術館に電話をして、生田緑地の東口にようやくたどり着く。なかなか岡本太郎にたどり着けない。
この立派な美術館は、岡本太郎岡本一平(父)・岡本かの子(母)の作品の保存・収集・常設展示、展覧会などの活動を行っているから、単なる施設ではなく、研究機関でもある。
最初の入口は、赤い光の中にモニュメントがある空間でいかにも岡本太郎の世界の入口という感じがする。
「変身」、「痛ましき腕」(アニミズム:あらゆるものは霊的な力や生命力が秘められている)、「樹人」(樹と人が一体化)、「マラソン」、「遊び子」、「駄々っ子」(つまり私。私と犬。「テーマ芸術に役割の一方、ナンセンスな無邪気さを芸術の本質的な姿勢だと考える。」「面白しねえ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。」、「誇り」(川崎市高津区二子に立つ岡本かの子文学碑。空に向ってにょきにょきとくねりながら昇っていく生命体。「この誇りを亡き一平とともに、かの子に捧ぐ」。川端康成が中心になって建てた文学碑。「この三人は日本人の家族としてはまことに珍しく、お互いを高く生かし合いながら、お互いが高く生きた。深く豊かに愛し敬し合って三人がそれぞれ成長した」(川端康成)と川端は聖家族と表現していた。
青山の自宅での創作の様子が映像で流れていた。1981年に完成した「遭遇」を描いたときの映像である。ひとときも休まずに動き回る。絵と対決しているようだ。「遭遇」はエネルギーを感じる絵だ。迫ってくる。)
「風」、「海辺の肖像」(珍しい具象的なモチーフ)
岡本太郎の作品。どぎつさ、見る人に何かを感じさせる、エネルギー、縄文的、妥協のなさ、はりつめた、迫力、原色、色彩、、。
「動物」(はじめてのモニュメント)、「太陽の塔」(3つの顔がある。黒は過去、腹部の顔は現在、上部の金色の顔は未来を表しているそうだ。太古のエネルギー、ベラボーな感じ)、「こどもの樹」(青山にあるこどもの城のシンボル)、「樹人」(樹と人の融合)。
「生の躍動」(エラン・ヴィータル)。エランというモニュメントを青森県の三沢の岡本太郎記念公園でみかけたが、同じようにくねくねとしながら天に向かって伸びていく作品はエランという名前がついていたエランは生命という意味)。
20代のころ、岡本太郎はパリで民族学を学んでいる。自身の説明によると、民族学帰納的に結論を得ようとするが、芸術活動は正反対なあり方で興味を持ったとのことだ。この民俗学が後に日本への回帰につながってくるのだろう。
「私は困難な創造しか求めません」
太陽の塔は、この世に存在しなかったものです」
「写真というのは、偶然を偶然で捉えて必然化すること」
「自分自身がオモチャなのだから、自分で自分というオモチャをくるくると使って遊ぶ」

企画展では、「岡本太郎の訪ねた韓国」をやっていた。1964年と1977年に韓国を訪問している。仮面劇やシャーマニズムに関心を抱き、旅の途中で出会ったチャンスン(道標)に引き付けられる。

・伝統と創造というこの二つの不思議な魅力。そして両者は猛烈に相反発する。その対極的な緊張感の中に、私は芸術家として生きる充実感をおぼえる。
・私は「日本」を手ごたえとしてつかみたかった。それは闘いの的を見定めると同時に、自己確認、両面の意味がある。
・芸術が理解を拒否していればいるほど、力なのだ。

大雨の中の訪問、そしてなかなかたどりつけなかったのだが、それでも訪ねるべき内容のある素晴らし美術館だった。何度も訪ねてみたいと思わせる美術館である。