「島津斉彬における超構想力の創造手法」(望月照彦)--多摩大雲雀祭

k-hisatune2008-11-02

多摩大学雲雀祭(ひばりさい)の二日目。いろいろなイベントが行われてる。

この中で行われた望月照彦先生(1943年生まれ)の「島津斉彬における超構想力の創造手法」講演会(多摩大学同窓会主催)を聴いてきた。都市プロデューサーの望月先生とは思えば長いお付き合いだ。最初にお会いしたのは、「知的生産の技術」研究会のセミナー講師としてお呼びしたときだから、もう四半世紀経つ。事務所に押しかけたり、先生主催のセミナーの講師の一角を引き受けたりした。知研にとって大事な導き手であり私自身も望月先生に多くのことを教わってきた。仙台の宮城大学に移ってからも、財団法人主催のコミュニティ・ビジネス研究会で先生が会長で私が委員として一緒に仕事をしたこともある。もともとは建築家で多くのすぐれた著作を著わしており、また独特の語り口で、熱心なファンが多い。近年は全国の地域活性化事業の指導を数多くしており、自治体や地域の志ある人々にとって大事な役割を果たしている。多摩大学創設時からの教員で、創業時の雰囲気を今に伝える貴重な存在である。

西郷隆盛の師匠でもある島津斉彬(1809−1858年)は、1851年に42歳で島津藩の藩主になってから7年間で、世界最大の産業集積である「集成館」をつくった。軍艦・大砲建造のために製鉄技術・ガラス技術・紡績技術などの基盤技術の整備に着手し、技術者と職人の養成、移入技術と伝統技術の融合などを行い、わずか7年間で成功させている。後に生麦事件薩摩藩と英国が戦争に発展したとき、五分五分の戦いをして英国の賠償要求をうやむやにしたことで、この集成館事業の意義を確認できたというものすごいプロジェクトだった。

鹿児島大学の長く深い歴史研究があるが、望月先生は集成館成立の秘密を解くプロジェクトを主宰することになる。

  • 事業(プロジェクト)マネジメント=この事業はいかに構想され監理されたか
  • 資本(ファンド)マネジメント=事業に必要な資金はどう調達され。投資され、回収されたか
  • 組織マネジメント=最大千二百人を集めた組織運営と形態はいかなるものか
  • 技術マネジメント=蘭書一冊の手本が技術者や職人たちにいかに解読され展開されたか
  • 商売(ビジネス)マネジメント=志を実利に結びつけるシステムはどうだったか(ビジネスモデルの抽出)

これらの課題はまだ、ほとんど解明されていないそうだ。

望月先生によると、集成館事業は、1.知られざる知の財宝、2.日本近代産業の起点・塑型、3.プロジェクトマネジメントの成功事例、4.リーダーと人材育成の坩堝(るつぼ)、5.マージナルな地域活性化モデル、6.日本型産業組織の誕生、7.産業技術の文化化、という特色がある。

その成果は、1.軍事産業の確立と民生産業の展開、2.工業技術の練磨と生活・農業振興への応用、3.カタライザー(まとめ役)、専門家(技術者)、職人の競合・融合の組織づくり、4.西欧技術の解読・習得と自己学習力・自主開発力の獲得、5.移入技術と伝統地場技術の連続性の創造、6.研究・生産拠点の集中と分散、7.産業人材の育成と輩出、融出の仕組みづくり、にある

このテーマは、地元鹿児島大学は歴史的視点、尚古館は子供たちへの伝承という視点、多摩大学は経営、産業化という視点で協力して取り組んでいくという大きなプロジェクトに育っている。望月先生のこの構想に大いに刺激を受けた。

私の「人物記念館の旅」の中で九州は宮崎と鹿児島が未踏の地だが、2月に宮崎での仕事があるので、尚古館などを訪ねて、島津斉彬の偉業をしのぶこととしたい。