「何日君再来」、「男装の麗人」--日中関係のルポとドラマ

k-hisatune2008-12-06

珍しく、夜はテレビを見続けた。
午後8時から9時は、「何日君再来−−アジアの歌姫が紡いだ歌」(NHKハイビジョン)。国民党政権下の中国、日本軍、台湾、共産中国と、すべて排斥された大ヒット曲の運命をたどる番組。李香蘭渡辺はま子、テエサ・テンなどの歌い手の魅力も加わって、日中の歴史の紀行も興味深い。

午後9時から11時過ぎまでは、「男装の麗人--川島芳子の生涯--清朝王女から美貌の女スパイへ!男女二つの顔で激動の日中戦乱をいきた華麗なる42年!!悲劇の皇女処刑60年衝撃の実話」。日本人と中国人の狭間で生きた男装の麗人の波乱の生涯を描いた作品。中国人としてのアイデンティティに従いながら、中国から処刑されるという悲運。

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以下、WIKIPEDIAから。「何日君再来

歌い手
何日君再来』は、周璇が歌ったものが有名だが、彼女以外にも、李香蘭(山口淑子)、黎莉莉、潘迪華、奚秀蘭、胡美芳、渡辺はま子、松平晃、翁倩玉(ジュディ・オング)など、数多くの歌手に歌われており、CHAGE and ASKAが大規模なアジアツアーを行った際にも歌われた。また近年では訒麗君(テレサ・テン)が同曲を歌い、中華民国中華人民共和国、香港など中国語圏でリバイバルブームを引き起こした。

日中戦争時代
まず、『何日君再来』が流行した当時、中国当局の中にはこの歌を中国人の日本への徹底抗戦意識の減殺、植民地支配への寄与を目的として日本軍が意図的に流行させた「亡国の歌」であると見る者がおり、同様の目的で当時日本軍によって流布されていた他の中国語歌謡曲とともに『何日君再来』を排斥しようとする動きがあったことが指摘されている。また、おそらくこのことと関係するものと思われるが、『何日君再来』の作曲を担当した劉雪庵は、中国共産党政権の時代となってから「右派」のレッテルを貼られて教授職の剥奪、農村下放などを経験しており、死後も完全に名誉回復されることがなかった。

一方、日本軍の間では『何日君再来』の「君」の中国語の発音が「軍」のそれと同じことから、抗日戦に敗れ重慶に撤退した「君(=蔣介石)」に向かって「いつ帰ってくるのか」と呼びかける、いわば抗日的な性格を持った歌であると解釈され、やはり『何日君再来』を排斥しようとした。

国民党政権下の台湾
さらに時代を下って「光復」後の台湾に目を向けると、外来政権である中国国民党政府の圧政に苦しむ本省人が、日本の植民地統治時代を懐かしみ、終戦後去っていった日本人に向かって『いつ帰ってくるのか』と呼びかけた歌であるとして、国民党政府が同歌を禁止していた時期がある(平野久美子 著『テレサ・テンが見た夢』晶文社 参照)。

中国共産党政権下の中国大陸
さらに、1980年に中華人民共和国テレサ・テンが歌った『何日君再来』が爆発的なヒットをした後、1982年に同歌は中国共産党政府当局の手により「エロな歌曲で、半封建、半植民地の奇形的産物」である「黄色歌曲」とされ、民衆の精神汚染を防ぐという理由から一時輸入、販売、放送などが禁じられた。

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川島芳子記念室(長野県松本市

1998年川島芳子の没後50周年に、芳子が少女時代を過ごした長野県松本市の日本司法博物館内に、川島芳子の書や遺品などを展示した資料室「川島芳子記念室」が開設され、芳子の女学生時代の友人や関係者が芳子のゆかりの品などを寄贈した。記念室は毎年川島芳子が銃殺された3月25日頃の週末に「川島芳子を偲ぶ会」を開催し、長野県内外から多数の人が集っている。また、記念室は2001年に川島芳子が私的に書き残していた和歌を歌集『真実の川島芳子』として出版するなどの活動を行っている。
日本司法博物館は2002年以降松本市引き継がれ「たてもの野外博物館松本市歴史の里」と改称、2007年4月末に改装を終えてリニューアルオープンした。川島芳子記念室は歴史の里内の展示棟にある。