志、勢い、偶然、没頭、課題、深堀、地平、持続、道筋

k-hisatune2009-02-19

志のある人とない人は、日常の過ごし方がまるで違うものになる。何が違うか、志を持っている人は「勢い」が違う。私の母のことで恐縮だが、ブログで書いた記事を記しておく。

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一人で九州に住む80歳の母親から、「私の伊勢物語」(久恒啓子著・短歌新聞社)が届いた。
母は歌集を3冊ほど出しているのだが、10年前の70歳になって初めての著作万葉集の庶民の歌」に続く2冊目の単著である。
60代の10年間を費やした本と、70代の10年間を使った本である。60代から70代の半ば過ぎまで脳溢血で半身不随となった父の介護があったから、この本の価値は大きいと息子として思う。
どちらも季刊の同人誌に書き綴った文章をまとめたものだが、テーマ(志)を持つということの意味と、一歩一歩と歩んでいく継続することの重みを改めて感じた。

母は普通の主婦として過ごしてきたのだが、60歳になって「万葉集の庶民の歌」というライフワークを見つけた。その後20年以上がたったが、この間、郷里にいても、仙台に来ても、東京に出ても、歌碑をめぐる旅を続けている。私もよく付き合わされるのだが、感心することが多い。志を持ち、それに向かって歩むことに勢いを感じる。
高齢者で自分自身の志を持たずに、息子や孫のことにだけ関心を持っている人も多いが、そういう人は長い老後を持て余していることが多いように思う。

最近、同窓会が多くなってきた。小学校、中学校、高校、大学、そして職場での元同僚の会などによく出席している。学校時代に成績の良かった人はビジネスマンになっている人が多いのだが、定年をまじかに控えていると、話題も会社の話が多い。しかもそこから離れることに寂しさを感じていて、勢いを感じない。会社の中の人生だったということだろう。
ところが、自営業をやっていたり、専門職的な仕事をしている人はすごく元気だ。まだまだやるべきことがあり、気力が充実している印象を受けることが多い。一生を視野においたテーマを持っていないと、長い人生を充実して生きることは難しいと思う。

今から振り返ってみると、大学時代に探検部というクラブに熱中したことが、その後の私の道筋が決まったという感じを持っている。探検のための知的生産の技術に関心を持ち、30歳で「知的生産の技術」研究会に入り、現在まで活動を継続している。この活動の中から、著作が生まれ、大学に転身し、図解コミュニケーションという新しい分野を切り拓いてきた。こういうふうに総括すると、私の志は「探検」であるという言い方もできるかも知れない。とにもかくにも、やるべきことは目の前に山積みであるし、限りもない。

最初の段階で偶然に出会ったものに没頭して、その延長線上に次の課題が見えてきて、それを深堀していくと、新たな地平がせりあがってくる。志を持続してきたというより、結果として後から振り返ると、一筋の道筋らしきものが見えてきたという感覚である。