堂本印象美術館--、「この館は神仏や善意に充ちた多くの人びとからの

k-hisatune2009-03-22

堂本印象は、1891年に京都で生まれ、京都市立美術工芸学校図案科を卒業し、三越図案部を経て、龍村平蔵工房で図案をかく。この工房で8年間いたあと、絵画専門学校に入学する。この時点ですでに27歳になっていた。そして翌年から始まった第一回帝展で入選して以来、画風は変えながらたゆまず絵を描き続ける。後に1961年に文化勲章を受章する。

京都市立堂本印象美実館は、白い壁に印象らしい造形が表現されている珍しい建物である。できた当時は物議をかもしたらしい。
美術館に入ると、「この館は神仏や善意に充ちた多くの人びとからの贈りものである」と印象自身が記した1966年の言葉が目に入る。この美術館は本人が隅々まで目を配って生前(75歳)に完成した珍しい美術館である。

1955年の福井地方裁判所エントランスの「楽園」というステンドグラス、1963年の玉造教会(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)の「栄光の聖母マリア」には、高山右近細川ガラシャ夫人が描かれている。

「メトロ」。61歳で画風の刷新をはかるべくヨーロッパに旅立ち6か月を旅に費やしたあとに発表した作品。日本画とヨーロッパの抽象画の融合。
以下、印象に残った絵。

「交響」。シンフォニー。「楽譜を私なりに解釈して、絵の中に私の交響曲を表現したい」。代表作。交錯し、重なり、結合する線の濃淡が三次元的空間を創り出す。墨や絵具の飛沫や背後に沈潜する多彩で微妙な色彩とともに、それらの波動はそのまま音に置き換えることすら可能である。(「堂本印象の世界展」の解説より)
「華」
「無間知覚」
「無明」
「調律」
「桜杉木立屏風」。抽象表現と日本的な花鳥風月の世界の装飾的融合。デザイナーとしての類まれな資質がうかがえる。
「光輝」
「聖家族」
「煩悩」
「生起」
「風神」。新しい風神雷神。西洋人は「じっくり描いた極彩色のものよりも、速度のある墨絵に興味を持っている」と確信。

この画家は、生涯において画風の変遷があるのだが、一方で日本各地の古寺名刹、神社に約600面に及ぶ障壁画を描いているのも特徴である。画題は100。高野山金剛峯寺の十六大菩薩、信貴山成福院、浅草寺天人、平安神宮の女郎花と鹿、東寺教王護国寺)、仁和寺の松と鷹、、。華麗な画風に加えて、大作が得意で、画域が広いからだろう。

印象は部類の読書家で、多方面の書物を読み、深い知識を持っていて、それがとりあげる画のテーマの広さにあらわれている。

  • でも、私にはレオナルドが、ミケランジェロが友達だ、、
  • 仏画を描いているときは、行に入ったとでもいうか、気持が非常に純粋である。
  • 最初にそれがとても至難だと思われるものを、屈服せずにやり遂げると、それは必ず至難ではないものであることが分かる。(大作とは)
  • 建築や音楽と同じく面積や容積と音だけの組合せであれだけ美しい感情を表すように、絵も線や点や色の濃淡だけの構成で本質的な作品が生み出される。