「無趣味のすすめ」(村上龍)

このところ、読まなければならない本を何冊か読んでいる。

さて、息抜きもあって日曜日は、書店で村上龍の「無趣味のすすめ」(幻冬舎)を買って、風呂の中で一気に読み終わった。
この作家とは30代の半ば頃に仕事上の関係で付き合っていたが、同世代であることもあり個人的にもその人がらに好意を持っていた。最初に会ったとき、「海の向こうで戦争が始まる」という本を読んでいる話をしたら、「あれを読んでいるのは通なんですよ」と喜んでもらったことがあり仲良くなった。一緒に酒を飲んだ仲間たちは、流行作家の彼と付き合っているのであって、誰も本を読んでいなかった。

「5分後の世界」、「愛と幻想のファシズム」、「半島を出よ」など、話題作が出ると必ず読んできた。取り上げる題材の面白さ、物語の構成や細部の描写、問題の設定など、すぐれた作品を一定の速度で出し続けていて、ファンとして存在感が大きくなっていくのを私も楽しんできた。

無趣味のすすめ

無趣味のすすめ

「無趣味のすすめ」とは、そのタイトル通りの「仕事のすすめ」のことだったのだが、このエッセイを読むと共感、同感することが多いことに気づく。

ワークライフバランス」の項など、「仕事というのは、生活の一部であって、、、」「仕事と家庭、という区分だったらまだわかる」、などは、このブログに昨年6月4日に書いた下記の「「ワークライフバランス」という言葉の不思議」http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20080604と同じ趣旨である。この言葉に私と同じ違和感を覚えた人に初めて会った。

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ワークライフバランス」という言葉を数年前からよく耳にするようになった。

この言葉、どこかおかしくないだろうか。「ワークライフバランスは「仕事と生活の調和」などと訳されている。「と」で前後をつないでいるということは、その前後は並列の関係であるはずだ。「男性と女性」「ボールペンと鉛筆」「机と椅子」「時計と帽子」。いずれも「と」の前後は並列の関係だ。

ところが「三色ボールペンとボールペン」となるとどうだろうか。違和感を抱かないだろうか。あるいは「時計と腕時計」や「帽子と野球帽」はどうだろうか。 「机の上に置いてある三色ボールペンとボールペンを持ってきてください」と言われたら、誰しも戸惑うのではないだろうか。「時計と腕時計」も「帽子と野球帽」も「三色ボールペンとボールペン」も、いずれも並列の関係ではない。腕時計は時計の一種だし、野球帽は帽子、三色ボールペンはボールペンの一種だ。

ワークライフバランス」にも、これらと同じ間違いがあると思う。ワークとは「仕事」のことである。ライフは「人生」とか「生命」「生活」「暮らし」といった意味だ。考えてみればすぐにわかるが、仕事(ワーク)は人生(ライフ)の一部である。生活ないしは暮らしの一部でもある。ということは、ワークとライフが並列の関係であるはずがない。ライフの中にワークがあるのだ。だからワークとライフのバランスをとろうというのはおかしな考え方ということになる。

ライフの中にキャリアがある。そのキャリアの中に仕事(ワーク)がある。私の考えでは、キャリアには、仕事のほかに学習と経験がある。ライフには、キャリアのほかにも、家族や趣味などがある。すなわちライフ(人生、生活)とは、仕事(ワーク)を中心としたキャリアや、家族、趣味などの総体なのだ。このように考えてみると、ライフデザインが最も重要であることに気づく。ライフデザインの中核はキャリアデザインで、そのキャリアデザインの中核が仕事(ワーク)ということになる。アメリカで生まれ、日本でも官庁や日本経団連が主導する「ワークライフバランス」には疑問符をつけざるを得ない。

安易に、そして無批判に外国の言葉を輸入する前に、一呼吸置いて自分の頭で考えたいものである。

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「最高傑作と「作品群」」では、まず多作であることが前提で、しかも「体系的・重層的」な作品群を持つことが必須だということ、その中で最高傑作が生まれるという。それは、「怒涛の仕事量」をこなすなかで、傑作が生まれ、その中から生涯の代表作が生まれるということとも通じる。体系的・重層的、そして立体的に、膨大な仕事を積み上げていきたいものである。

「仕事は何としてもやり遂げ、成功させなければならないものだ」
「情報や知識や何らかの人間的魅力など、その人に何らかの有用性がなければ相手にしてもらえない。まずは自分を磨くことから始めなければならない」
「アイデアは「組み合わせ」であって、発見などではない。」「アイデアを生む発想力というのは、偏在する膨大な記憶を徹底的に「検索」し、適したものを表面に浮かび上がらせる力ではないかと思う。」
こういうところは、ビジネスマン時代の経験を若いビジネスマンに向けて書いている私と同じ感覚だ。

グローバリズムに適応するときにもっとも重要なのは、コミュニケーションだということで、「友人とは密に、敵とはもっと密に、と彼(父親)に教わった」という珠玉の言葉も紹介している(映画「ゴッドファーザーPART2」)におけるマイケル・コルレオーネの台詞)。


小説を書く、という仕事も他の仕事と変わらない。この作家の場合、問題の発見・発掘、情報の収集、企画、から実際の日常の行動、そして問題の解決に至るまでの道筋は、ビジネスマンと同じだということがよくわかる。

このエッセイは、いわゆる小説家の人生論というものではなく、作家という職業を持つ現役の仕事師としての感慨が素直に述べられているので、安心してすんなり読み通すことができる。多くのビジネスマンの読者を獲得するだろう。