志   小中陽太郎 小田実 ペトロ岐部、、、

我が家では家族の誕生日は、全員で祝うイベントを実施するという慣行が成立している。今日は妻の誕生日ということで六本木のミッドタウンのイタリアンレストランに娘と息子も集まり、昼食をとりながら楽しい時間を過ごした。次は娘の誕生日。

終わって何気なく、TSUTAYAに入って驚いた。7月に出版した「志 KOKOROZASHi」(ディスカバー)が棚の最上段にずらーと並べてあった。そして「志」という手書きの大きなポップがあり、そこには「混迷の時代 今こそ問われるのは お金ではなく「志」だ」という文字が青色の地の上に赤い文字がで書かれている。ずいぶんと力を入れてくれているのだなあと感激する。そのポップの下に「貯金生活」という本が並べてあるのはご愛敬。店長に、著者だと名乗って売れ行きを確認すると、順調に出ているという返事だった。書店に積み上げているといううわさは聞いてはいたが、実際に初めてその現場をみた。たくさんの人に読んで欲しい本だ。

次に、娘が看護師として勤務する都内の大学病院にでかけ、職場を見学する。敷地内で夏祭りをやっていて和気藹々の雰囲気の中で、仕事をしている様子を見て一安心。

それから、白金台の中華料理店で知研主催の「小中陽太郎先生を囲む会」に参加。小中先生御夫妻、八木さん、近藤さん、秋田さん、樋口裕一さん、望月実さん(公認会計士で作家)、溝江玲子さん(児童文学作家)、斉藤正明さん(「会社人人生で必要な知恵はすべてマグロ船で学んだ」の著者)、房園靖子さんなどが参集。小中先生の博識と人柄で和やかでかつ知的な雰囲気の会合になった。

知研のメンバー、若いビジネス作家たちと楽しい時間を過ごした。小中先生は27−8才のNHK時代につくった映像をを見せてもらった。四日市のコンビナートを舞台にしたドキュメンタリー風の作品で小田実が声の出演をしていた。小田実小中陽太郎の出会いをもたらした作品で、小田との出会いが小中の人生行路を違う方向に定めていく。

また、大友宗麟の支配地であった大分県臼杵に先祖が住んでいた小中家であるが、ペトロ岐部(1587年頃生まれ)という人物のことも話題になった。天正少年遣欧使節の伊東マンショらをだしたセミナリオ(神学校)に学んだペトロ岐部は、キリシタン禁制の世になって、1614年にマカオへよ逃れる。そしてゴア、マスカットを経て、バクダッドに入り、エルサレムを過ぎ、とうとう単身で1620年にローマに入る。このとき33才。「私の名はペトロ・カスイ、父ロマノフ岐部、母マリア波多の子、生まれは日本の豊後国浦辺、入会の動機は私の自由な意志である、、」とイエズス会に身上書を提出している。司祭になった岐部は、16年ぶりに日本に帰る。東北の水沢に潜入したが、1639年に捕縛される。江戸で尋問を受けるが、将軍家光、柳生但馬守、沢庵和尚が尋問者であった。拷問にあっても「転」ばなかったペトロ岐部は殉教する。

この物語は遠藤周作が小説に書いている。「銃と十字架」は読もう。

帰りの電車は八木さんと一緒だったが、寺島さんから携帯に電話。帰宅すると樋口さんとの共著のゲラが届いていた。