みなとみらいの横浜美術館で、「柳宗理展」を観る

k-hisatune2009-08-17

横浜開港150周年に沸く横浜のみなとみらい地区に出かけ、横浜美術館で行われている「柳宗理展」を観る。

柳宗理はインダストリアルデザイナーの草分けで、1915年生まれというから今年94歳になる。インダストリアルデザインとは工業デザインと訳すのだが、この人のデザインした分野の広さに驚いた。

ミシン・レコードプレイヤー・水差し・スピードケトル・ステンレスボール・硬質陶器・御神酒徳利・クリスマスカード・年賀状・三越案内板・自動ドア・標識・トイレ標識・セロテープホルダー・小物入れ・カーテン・札幌冬季オリンピック聖火皿・トーチホルダー・カップ・角付きタンブラー・清酒グラス・ワイングラス・白磁シリーズ・片手鍋・南部陶器・キッチンツール・鉄フライパン・カトラリー・テーブルセット・皇居新宮の手洗い器・トイレットペーパーホルダー・図録「ルーブル美術館」の表紙デザイン・図録「東京国立博物館」の表紙デザイン・東京湾横断道路木更津料金所・関越トンネルこ坑口デザイン・東名高速道路東京料金所防音・同足柄橋、、、、。

生活にかかわるあらゆる分野がフィールドであることに驚いた。記念に清酒グラスを買った。

‐つくり手の意識や行為の外にある様々な条件や制約こそが個人の意識を超えた本当の美を生む
‐デザインは、、、よりその材質と機械を知る為に度々自らその材料に触れ、機械を手に操る必要が生じてきただろう

柳宗理は、名前の示す通り柳宗悦の第一子である。柳宗悦は、「民藝」という分野を発見し、日本民藝館を創立した人物である。バーナード・リーチ河井寛次郎、濱田省吾などと、名もない職人がつくった生活民具に新しい光を当てた。
柳宗理の「エッセイ」によると、宗悦は大変な勉強家で相当な蔵書の半分は洋書、後の半分は漢書と日本の書物だった。

この偉人を父に持った宗理は、年頃になって父に反抗し、純粋美術に足を踏み入れ、間もなく前衛美術に入っていく。そしてヨーロッパのバウハウスを知り、コルビュジェを知り、デザインに転向する。このころからやっと父に対する反抗心が薄らいでいく。

日本の無名の職人が手づくりで繰り返しつくった生活用品に価値を見出した父に対し、息子の宗理は機械を用いたデザインでまさに生活用品を中心に仕事をしていった。これは、父の仕事を引き継いだことになると思う。
「私の夢は民藝館の隣に現代生活館なるものを建て、、現代の機械製品の良いものを並べて、民藝館との繋がりをしっかり明示したい。」「息子の私をおいては真に宗悦の理想を生かしうるものはないと私は信じて疑わない」

柳宗理は日本における工業デザインのパイオニアとして知られており、ワークショップにおいて模型を作りながら試行錯誤を繰り返しすぐれたデザインにしていくという手法が特徴である。生活用具にとどまらず、公共建築物のデザインにも影響を与えている。横浜では、市営地下鉄のベンチや消火栓、野毛山公園の吊り橋型の歩道橋なども柳宗理のデザインだ。

機械工芸の宗理は手工芸の宗悦の死後15年たって、日本民藝館の館長を引き受けている。また日本民藝会長にも就任している。1981年には紫綬褒章を受章。

インダストリアルデザインの分野では、アノニマス・デザインという言葉がアメリカから入ってきたのだが、それはデザイナーがタッチしていないデザインという意味だそうだ。それがつまり柳宗悦がいった無名の職人の技ということと同じではないか。宗悦の志は、日本が世界に誇るデザイナー・柳宗理という息子に引き継がれていったのである。

ここにも父と息子の葛藤から生まれた新しい世界がある。

美術館のレストランで昼食を摂った後、シーバスに乗って山下公園に向かう。湾内から横浜を眺める。山下公園の向かい側に建つホテル・ニューグランドで休憩。