中津ぶらぶら歩き

k-hisatune2009-11-23

中津市街をぶらぶら歩く。

福沢記念館。

  • 59歳時に帰郷の際、耶馬溪競秀峰を買収し景観を護った。これは日本におけるナショナルトラスト運動の先駆けだった。「俗世間も自然の一部だ」
  • 「自由とは他人の妨を為さずして我心のままに事を行うの義なり」「一身独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし」(中津留別の書。明治34年)
  • 中津市学校校門は、現在の南部小学校生田門。
  • 小幡篤次郎(1842-1905年)、中上川彦次郎(1854-1901年)
  • 水嶋鉄也(1864-1925年)。神戸高商校長(神戸大)。「最善を尽くす」「霜雪を凌ぎて香る」。育てた人は、出光佐三(1885-1981年)、石井光次郎(1889-1981年)。
  • 福翁自伝」「学問のすすめ」は、インドネシアベトナム、韓国、中国、ドイツ、英訳などで翻訳されている。
  • 広池千九郎(1866-1938年)。中津歴史(26歳)、古事類苑、モラロジー(道徳科学)
  • 田中信平(1748-1824年)。中華料理の元祖、「けんちん」の創始者。
  • 辛島正庵(1779-1857年)。種痘
  • 中里真清(11865-1939年)。耶馬溪鉄道、中津市
  • 島田虎之助(1814-1852年)
  • 宇都宮仙太郎(1866-1950年)。雪印の創業者の一人。

隣の増田宗太郎先生誕生の地を訪ねる。西南役中津隊長。木陰にりゅうとして石碑がそびえている。ひっそり。

和田公園。和田豊治(大実業家)。富士紡を建て直した。和田豊治翁こう徳碑。

中津城のあたりに小幡英之介像。歯科医の先覚者。

中津市学校の校門。生田門。中津藩家老生田家の門。「西洋風の文化・生活様式の出発点は常に市学校だった」

小幡篤次郎記念図書館を訪問。図書館の中に資料室があった。1842年中殿町に生まれる。16歳進脩館。1864年福沢の洋学塾入塾。1866年慶応義塾塾頭(24歳)、幕府開成所助教授。1871年中津市学校初代校長。1877年欧米巡歴。1890年塾長・貴族院議員。1901年社頭。1905年死去。1909年、遺言によって、土地・図書等の寄贈で小幡記念図書館設立。辞世の句「花にそむき 雁と己と旅寝かな」
著書等。「天変地異」「生産道案内」「英文熟語集」「博物新編補遺」「小学歴史」「日本歴史」「洋兵明鑑」「弥児氏宗教三論」(ジョン・スチュアート・ミルの翻訳)。明治22年の慶応生科卒業生写真では、福沢の隣にいる。
郷土のコーナーに私の本は2冊しかなかった。「図で考える人は仕事ができる」、「合意術」。
この図書館のある場所は、藩校である進脩館にあった場所。藩からは維持費として米100石。年間生徒は200名。倉成龍渚、野本雪巌、野本白巌、白石照三、渡辺重名らが教師。


夕食は、中津北高校の矢口校長、臼杵高校の飯沼校長、同級生の市会議員・須賀留美子さん、私の母の5人で食事。