抜き書き帳から−−「世界を知る力」(寺島実郎)

「世界を知る力」(PHP新書)を何度も読んだ。
寺島実郎の世界を垣間見ることができる快著である。今までの寺島の本は一行一行にかかっている時間と労力に読む人は押しつぶされそうになっていたように思うが、そういった知識の大海の中から浮き出た氷山の一角のような本に仕上がっている。語り口がやさしく、読みやすい。新書のベストセラーにはやくもランク入りしてようだが、この本によってより多くの人が寺島実郎の主張と考え方、バックボーンを理解するようになるだろう。この本で影響力は一段と増してくることになると思う。以下、この本の中の重要な部分を抜き書きしておく。
今朝はシンガポールから帰国した寺島さんから電話をもらった。「大中華圏の南端に位置して中国の成長力をASEANにつなぐ基点となると同時に、インドそしてオーストラリアの成長力をもASEANにつなぐ基点になりつつある」と述べているシンガポールに数日滞在していたのである。このシンガポールは、「ユニオンジャックの矢」の一角を占めており、今後の世界の動向のキーの一つだ。日々、世界を知る力が積み上がっている。

世界を知る力 (PHP新書)

世界を知る力 (PHP新書)

  • 大空から鳥が世界を見晴らすように、宇宙船から地球を望むように、世界の広がりを認識することが必要である。その一方で、虫が地面を這うように、自らの足を使って生身で現代社会を生きる人間の表情に触れること−−人間社会の深みを知ろうとする営為も求められる。おそらく、「世界を知る」こととは、そういった試みの集積にほかならない。
  • 「おや?」と思う事実にめぐり合った時、固定観念に縛れるのではばく、虚心坦懐に心を開き、時空を超えて視界を広げれば、必ずや「世界」は違って見えてくるはずなのである。
  • 現代世界で生じるさまざまな問題に対処する場合にも、空海のように、「全体知」を希求するなかで問題の本質的解決に向かわなければならない、と自分を戒めるのである。
  • 「裏日本」「表日本」感覚に象徴されるように、いつの間にか「アメリカを通してしか世界を見ない」というものの見方や考え方を身につけてしまったことを自覚するところからしか、「世界を知る力」の涵養は望めない。
  • 地政学的なものの見方というのも絶えず重要ではある、、、、、しかし表面的な現象に惑わされず、地下水脈のように世界に張りめぐらされたネットワークに着目することこそ、(表面的に)激動する現代世界をとらえるうえで、最も重要だと考えている。
  • 大中華圏という言葉は、、、、実際に、中国、台湾、香港、シンガポールの産業的連携が深まることによって、大中華圏がひとつの産業的実体となりつつあることを示す言葉なのである。
  • ユニオンジャックの矢」は、英国にとっては国づくりの根幹をなす戦略なのである。つまり、ドバイバンガロールシンガポールシドニーと世界の成長センターをつなぐネットワークの基点となることで、英国にヒト・カネ・情報が集まる仕組みをつくりだす。この直線は、そのまま英国の「生命線」なのだ。
  • 世界に散在するユダヤ人の間には、何が脈打っているのだろうか。、、わたしは、それを流浪の民ゆえに獲得した(せざをえなかった)「ユダヤ的思想」に求めたい。、、、ユダヤ的思想の基軸は二つである。「国際主義」(という視点)と「高付加価値主義」(という戦略)だ。
  • ネットワーク型の視界を持つということは、一見バラバラに見える断片的な現象・情報に対して「相関の知」を働かせることである。
  • 20世紀のアメリカは「自動車」と「石油」を相関させることで、「アメリカの世紀」を創造したともいえる。
  • オバマ政権の「グリーン・ニューディール」政策が、、。鍵を握るのは技術の相関である。EV(電気自動車)。RE(再生可能エネルギー)、IT(情報技術)がうまく相関・相乗すれば、うねりのような産業技術文明のパラダイム転換がもたらされるかもしれない。
  • いま世界は、超大国が支配した冷戦時代を終え、バラバラに分散された小さな部分が、ネットワーク化され相関することで、全体として大きな統合された力を発揮するような時代へと向かいつつある。
  • いま日本はようやく、「改革幻想」から解き放たれようとしている。、、、決別した「新・自由主義」の先にどういう花を咲かせるべきかについては、まだ責任ある回答が見えていない。
  • アメリカにとってアジア太平洋のゲームは、同盟国日本を基軸とした時代から、日本も中国もという相対的なゲームへと本質的な変化を遂げた。
  • こういった国境を超えるネットワークが、うねりのような相関のなかで、世界を突き動かしていくのが21世紀の構図ではないだろうか。、、重曹的に「世界を知る力」が日本人すべてに求められている。
  • ネットワークを形成できる国や地域だけが力を発揮できる時代へと、現実は向かいつつある。
  • 分散型ネットワークの時代に照準を合わせ、空虚なマネーゲーム的熱狂から距離をとり、技術を育て、事業を育てる−−−「育てる資本主義」の道を堂々と進むこと、そこに日本の歩むべき道があると思う。
  • 日本の国際基盤である対米外交原則をあらためて明確にすることが欠かせないと考える、何よりも日米安保同盟のあり方を根本的に見直し、アメリカと「大人の関係」を構築してれいくことが重要だ。-、、健全な常識にかえることである。そもそも、独立国に外国の軍隊が駐留し続けていることが、いかに不自然な自体であるか。、、外国基地の縮小と地位協定改定を実現すること、それが一歩である。
  • もう一点重要なことがある。それは、「アメリカ」をアジアから孤立させない」ということだ。
  • 中国に対しても明確な外交原則を確立することが求められている。それは、中国が国際社会の責任る関与者としての役割を果たすよう積極的に働きかけるということである。
  • 日米中のトライアングルをより正三角形に近づけるような外交戦略を、日本はいまこそ採用すべきなのである。
  • 「友愛」を現実のものとする政治的な行動・ロゴス・政策による肉付けが必要である。その作業を積み重ねることが、すなわち、戦後外交の一大転換につながるとわたしは考えている。
  • 相互の利益につながる共同のプロジェクトを積み上げ、その実現過程で信頼関係を段階的に確かなものにしなければならないのである。
  • 東アジア共同体構想」は、、、いまは限りなく空念仏に近いが、その理念を中心にして共通の利益を実現する「段階的接近法」が正当だと思うからである。
  • 「世界を知る」こととは、断片的だった知識が、さまざまな相関を見いだすことによってスパークして結びつき、全体的な知性へと変化していく過程を指すのではないだろうか。
  • 「世界を知る力」を養うためには、大空から世界を見渡す「鳥の目」と、しっかりと地面を見つめる「虫の目」の両方が必要だと考えている。その「虫の目」を鍛えるのは、なんといってもフィールドワークである、。
  • こうした体験の背後にある構造変化が見えてきて、統計を調べてみようと思うのである。身体性を有した体験がすごく大事である。統計の数字を見ているだけではわかない、世界の変化が見てとれるからだ。定期的に出かけているところなら、なおよい。一種の定点観測になって、細かな変化が目につくようになる。
  • 生身の身体性を有した体験は、ネットを通じてディスプレイに表示される情報とは比較にならないほどの強い印象を、わたhしたちの脳に刻み込む。それが、文献では得られない強い問題意識を醸成させる。ただし、それを熟成させていくには、文献の力が必要だ。深い知恵は、フィールドワークと文献の相関のなかでしか生まれないのである。
  • 「、、、賛成はできなけれども、あなたのものの見方、誠実に物事を組み立てて考えてみようという見方には大いに評価する、という姿勢が外交においても、国際社会を個人賭して生き抜く上でも大切だ」と。こういう姿勢を、外交の世界では「agree to disagree」の関係と呼ぶ。、、、-「賛成はできなくても、相手の主張の論点は理解した」という姿勢をもつことが肝要だ。
  • 外を知れば内がわかる。内がわかれば外とつながる回路ができるのだ。
  • 以来、わたしの脳裏には、情報は教養を高めるための手段ではない、問題を解決するためにいろいろな角度から集めるものでありということが、強く刻まれるようになる。断片的な情報を「全体知」へと高める動因は、問題解決に向けた強い意志である。
  • 世界の不条理に目を向け、それを解説するのではなく、行動することで問題の解決にいたろうとする。そういう情念をもって世界に向き合うのでなければ、世界を知っても何の意味もないのである。
  • 「問題は何であり、自分は社会において何をなすべきか」という意識が、わたしを突き動かしてきたように思う。
  • わたしの生活を振り返るならば、航空機のなかで、そして列車のなかで、考え込みながら生きてきたようなものである。この移動空間は、ひとりの時間が確保できる場でもあり、沈思黙考、後にしてきた場所で目撃し、確認してきたことを整理することのできる貴重な機会である。
  • この本は、若いゼミの学生か現場を支えるサラリーマン、時代を鋭い感性で見つめる知的女性に語りかける意識でつくられたものであり、これを手にした諸君が何かひらめいてくれれば、望外の喜びである。
  • わたしは「マージナルマン」という言葉を心に抱いてきた。マージナルマンとは境界人という意味で、複数の系の境界に立つ生き方という意味である。ひとつの足を帰属する企業・組織に置き、そこでの役割を心を込めて果たしつつ、一方で組織に埋没することなく、もうひとつの足を社会に置き、世界のあり方や社会のなかでの自分の役割を見つめるという生き方、それをマージナルマンという。
  • 自分の時間を確保する努力をし、会社の外の研究会に参加したり、フィールドワークをする試みを続け、それを毎夜机に向かい整理して作品のにしてきた。
  • 自らのテーマをもち、自らのライフスタイルを貫く意志をもちながら、帰属組織に腰を据えて参画する、これがマージナルマンの生き方なのである。
  • 産学官の境界を見つめることによって、それぞれの相関のなかで時代が鮮明に見えるということもある。わたしの心のなかでは、産学官シナジーのなかでひとつの仕事を貫いているという実感がある。世界を知り、課題に挑戦するという仕事である。
  • 時代は断片的な分断された知性ではなく、ますます総合化・体系化された知性を必要とする。そうした方向で、わたしの周りに、現場を支える若い知性を育てること、そこに大いなる意欲をかきたてられる