土方歳三、佐藤彦五郎、井上源三郎−−新選組ツアー

k-hisatune2010-03-21

日野市にある新選組関係の三つの資料館は、第一・第三日曜日の午後のみの開館なので、なかなかタイミングを合わずに訪問することができなかった。スケジュール表の該当日に「土方歳三資料館」と書き続けてきたのだが、ようやくその日がきた。土方歳三、と井上源三郎新選組、佐藤彦五郎はその支援者である。それぞれの子孫が自ら資料館にいて、解説をしてくれるという珍しい連携である。半日かけると新選組の全貌がみえるという企画になっているのが素晴らしい。4つ施設をまわって最後に、この3月にオープンした日野市立新選組のふるさと歴史館でこの新選組ツアーが終了する。
1834年生まれの近藤勇1827年生まれの佐藤彦五郎、そして先日訪れたが閉館日だった小島資料館の小島鹿之助は、義兄弟のちぎりを結んでいた。また、新選組の多摩四人衆といわれたのは、近藤勇土方歳三沖田総司井上源三郎である。
この多摩地区には本来の武士集団はいない。徳川幕府の直轄地である天領であったため、徳川家に対する忠誠心が強く、また武道をたしなむ尚武の風がある土地柄である。
月に2回のみの開館ということもあるのだろうが、どこもそれなりの訪問者がいる。家族連れや若い女性も多いので、どこも賑やかで和気あいあいの雰囲気だ。「新選組のふるさと・日野市」というメッセージには納得感がある。
徳川幕府への忠誠、新政府批判、そして自由民権運動、国会開設への流れが、この多摩にはあきらかにある。4月にリニュアルオープンする「自由民権資料館」や、小島鹿之助の小島資料館にも足を運びたい。

新選組副長として天下に名をとどろかせた一代の英雄・土方歳三(1827-1869年)。司馬遼太郎の名作「燃えよ!剣」やNHK大河ドラマでの颯爽とした姿、函館五稜郭の記念館などで土方の人生には触れる機会が多かったが、今回は育った実家にある資料館を興味深くみた。子孫の陽子さんから、その娘の愛さんが書いた「子孫が語る土方歳三」(新人物往来社)などの書籍を購入する。
榎本武揚の書があった。「歳三という男は、軍議などの際、部屋に入ってくると清らかな風がなびくようなそんなさわやかな人物であった」という意味の書だった。遺品の鎖帷子(くさりかたびら)があった。これは戦闘時に着用した鎧のようなものだが、右後方に槍で突かれた穴があったのはなまなましい。
土方家は、副業として石田散薬を開業していた。打ち身、くじき、骨接ぎの特効薬で、歳三はこれを各地に売りながら、諸国の情報に詳しくなったようだ。俳句もたしなみ「豊玉」(ほうぎょく)という俳号も持っている。土方歳三は、剣と教養の人だった。

  • 佐藤彦五郎資料館

佐藤家16代目子孫・佐藤福子さんとその夫が、自宅につくった資料館で解説してくれた。土方歳三のすぐ上の姉のノブが彦五郎の妻になっている歳三の7つ上の義兄である。もともと従兄弟関係でもある。この人物は、名主の職にあり1863年の浪士組上洛には参加できなかったが、日野にいて新選組の物心両面での援助を続けた人物で、後に初代多摩郡長にもなっている。この家は記録を残すことを大事にした家で、彦五郎の子孫は代々日記などがある。源之助(俊宣)は「今昔備忘記。仁は「離蔭史話」だが、30年にわたって400字詰め原稿用紙で400枚以上になる。これを参考に子母沢寛が「新選組始末記」を書いた。ブログ「福子だより」」というのがあるそうだ。

  • 日野宿本陣

武州日野宿総名主屋敷。天然理心流佐藤道場跡。本陣とは殿様が指揮をとるところという意味で名主の家がそれになる。この立派な建物は佐藤彦五郎が建てた。ケヤキの大黒柱が45センチあり実に立派だ。ここの一室に土方歳三が京都から戻った時に泊まった。その部屋には「及武及文」という額が掲げてある。文武両道という意味だが、武が先に書いてあるのは多摩らしい。

ここでも井上松五郎(1822年生まれ)、源三郎(1829年生まれ)兄弟の子孫の館長の井上雅道さんが案内してくれた。この家は沖田総司と縁戚関係にある。八王子千人同心の流れの家である。八王子千人同心とは、甲州武田氏の旧臣を中心に徳川が江戸防衛のの一環としtれ甲州口の防衛と治安維持のために配置された郷士集団。後に帰農する。源三郎は新選組で六番隊隊長。

2010年3月にオープンしたばかり。天然理心流は、木刀五本に始まり木刀五本に終わるといわれる実戦剣法。肉を切らせて骨を断つ。