「多摩学の発見―――多摩大鳥瞰図絵の試み」

多摩大学総合研究所発行の5月発行の機関誌「マネジメントレビュー」用の原稿を書き終えました。http://www.tmuri.jp/
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江戸時代に鳥瞰図絵師という職業があった。風景をまるで鳥になって上空から見下ろすように描くことができる絵描きである。この手法は屏風に描かれた絵巻物を源流としており、全国の名所をこの手法を使って描いた浮世絵は今も多くの人を魅了している。山や川、都市の建物など並んでいる順序は正しいのだが、一枚におさめるためにゆがんでいることもこの手法の特徴のひとつだ。この図絵は全体を俯瞰しており、位置関係が一望できるので人気があった。
大正時代にこの手法を発展させた吉田初三郎という鳥瞰図絵師がいて、全国の景勝地を描き、鉄道の建設で始まった観光ブームに火をつけた。「大正の広重」と称したこの人の展覧会を見たが、錦絵のような鮮やかな色彩と、富士山や見えるはずのないアメリカや樺太を描くなどの大胆なデフォルメという手法を駆使しているため、世界や日本の中での景勝地の位置がよく理解できた感じになった。この絵描きは見えるはずのない高みに視点を定め、風景を切り取る作業をしたわけだが、どうしてそういうことができたのだろうかと不思議な気持ちで感動に浸ったことがある。
必要があって「多摩」の鳥瞰図絵をつくることになった。関係者が集まって、最初の絵図案をもとにアイデアを出し合ったが、それは笑いの多い、わくわくするような時間だった。多摩大鳥瞰図絵の試作版を載せておくので参考にしていただきたい。
多摩という地域はどこを指すのだろうか。諸説あるが、東西では東の東京世田谷あたりから西は富士山に迫るあたりまで、南北は秩父山系から南は東京湾相模湾までの広大な地域、これを仮に「大多摩」と呼んでみようか。この地域は現在では、東西に中央自動車道東名高速、中央線、京王線小田急線、東海道新幹線などが通り、南北には多摩川と相模川が流れている。歴史的にも興味深い地域でもある。いたるところに散在する万葉集の歌碑群、東国から九州の警護に行かされた防人が通った多摩よこやまの道、「いざ鎌倉」の鎌倉街道、横浜と八王子を結んだ文明開化の「絹の道」、新選組から自由民権運動への流れ、昭和の開発を彩った多摩ニュータウン、、、、、。
東京西部地区、23区以外を指す東京都下という「辺境の多摩」ではなく、日本と世界の中心に多摩があると考えると、東京は出稼ぎにいく場所とみえる。空の羽田空港と海の横浜港から世界につながっている。沸騰する日本海の彼方に中国、韓国、北朝鮮、ロシアなどを擁するダイナミズムあふれるユーラシア大陸が視野に入る。
少なく見積もっても人口400万人以上、12万社以上の企業が存在するこの多摩を、地域性(ローカリティ)と世界性(グローバリズム)を具備する地域としてとらえ直す「多摩グローカリティ」という視点がこの鳥瞰図絵から浮かんでくる。
多摩を冠した唯一の大学として20年前にこの地に誕生した多摩大学は、「実学志向の大学」を標榜してきたが、「今を生きる時代についての認識を深め、課題解決能力を高めること」を実学と再定義している。その上で大学のアイデンティティの確立のためにも、「多摩学」という実学に地域とともに接近していきたい。
ここ数年で専任教員が担当するホームゼミ、外部専門家も加わるプロジェクトゼミ、そして寺島実郎学長が直接指導するインターゼミ(社会工学研究会)など、様々な形のゼミが、多摩をフィールドに地域と協力しながら教育活動を活発に行う方向が明確にみえてきている。また教員にも本来の経営と情報に関する専門分野研究で培った視点で多摩をとらえ直す機運があり、教育と研究の一体的な連携へ向けてベクトルが合いつつある。
もともとこの地域には多様な形で存在する歴史と地勢、文化と風俗、産業と社会などに関する研究者・実務家による膨大な研究と活動の蓄積がある。その上に更に地道に実績を積み重ねるならば、まだまだ茫漠としている「多摩学」のイメージも、しだいにその輪郭がみえてくるのではないだろうか。
産業界、自治体、学界等が鳥瞰的な視点をもって連携し、地域活性化を睨んだ実学としての「多摩学」の構築に向けて、力を合わせ相乗効果を高めていきたいものである。