「僕は時代の子だ。みたものをつくらねばならない」(マネ)

k-hisatune2010-04-28

エドァール・マネ(1823-1883年)の絵画を中心とした「マネとモダン・パリ」企画展が三菱一号館美術館で開催中だ。
司法省の官僚で厳格な父と外交官の娘で芸術的な血が流れている母の間に生まれたマネは、パリに生まれ、パリに育った。フランスは、1848年の二月革命とそれ以後の第二帝政第三共和政の間にパリという魅力的な街が形成された。1852年から1870年にかけて、ナポレオン三世は現代都市・パリをつくり、パリは新しい生活様式を生んだ。1851年から1900年の間に、毎年新しい建物は1240棟ずつ建設されている。マネはその目撃者だった。

詩人・ボードレール(1821ー1867年)。「悪の華」「パリの憂鬱」を書いた親友は、現代生活の美を見出し、同時代の精神を伝える芸術を生み出すことを奨励していた。
8歳下の小説家・エミール・ゾラとの交流も深い。

マネの言葉。
「現代的あらねばならない。流行など気にせずに、われわれが今目にしているものを描かねばならない」
「サロン(官展)こそ真の戦場だ。自分の大きさが測れるのはまさにここなんだ。小さな闘技場では僕は飽きてしまう」
「僕は時代の子だ。みたものをつくらねばならない」
「僕はみたままを描いただけだ」

印象に残った絵。

  • 死せる闘牛士。黒の魅力にあふれた絵。
  • 街の歌い手。ゾラが一番好きな絵。
  • 扇を持つ女。ボードレールの恋人の絵。
  • 温室のマネ夫人。家柄が違ったため息子を弟として育てていたマン夫人の穏やかな風貌。
  • 横たわるベルト・モリゾの肖像。女流画家モリゾの肖像。モリゾはマネの弟の妻になる。
  • すみれの花束をつけたベルト・モリゾ。(下の絵)。


31才のモリゾ(1841-1895年)。知性と教養。モリゾの義理の甥・ポール・ヴァレリー「何よりも黒、絶対的黒」「マネ芸術の神髄」

  • オランピア。高級娼婦の裸体。顔は少女のよう。センセーションを巻き起こす。
  • ラテュイユ親父の店。明るい軽やかなタッチ。
  • 自画像(今日の一枚)生涯で2点しかない自画像。40代後半。苦渋に満ちた鋭い視線。

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