絵を描くことは、長く遠く果てしない孤独との戦いである(三岸節子)

k-hisatune2010-04-29

三岸節子展が日本橋高島屋で行われている。「没後10年記念 三岸節子展 心の旅路−−満開の桜とともに」。
この画家は一宮市三岸節子記念美術館があるが、夫の好太郎にも北海道立三岸好太郎美術館がある。夫婦揃って美術館がある画家夫婦も珍しい。好太郎美術館は札幌にあり先日訪れたが、立派な美術館だった。そのとき31才で亡くなった画家にこんな立派な美術館があることを不思議に感じた。この美術館は節子の62才の時に開館している。また節子自身の美術館は93才という亡くなる直前に開館している。節子は89才で女性画家としては初の文化功労者となった。
好太郎は31才で夭折しているが、妻の節子(1905年生まれ)は94才まで画業を続けているというように対照的な人生だった。

今回の企画展では最近発見された日記の文章を絵に添えるという試みが成功している。この画家は、画風をどんどん変えながら、長い生涯にわたって絵を描き続けたが、言葉にも心打たれるものがある。

  • まだまだ生きている間は、一枚の作品に年齢相応の深い味わいを出してゆきたい。72才
  • 家族近親の面倒を見てそれが満足だというのか、なんと味気ないことだろう。60才
  • もっともっと深く掘り下げて、根元の自己をつかみだしてもっと根の深い作品を描きたい。広野の一本の大木のように何百年も生き続け生命力が得たい。68才
  • 私は人物が描きたい。最後の仕事は人物とゆきたい。92才
  • 新鮮な、シャープな、先生な、ピリピリした花を描きたい、、、、痺れるような美しい花の絵を描いたい。72才
  • 世にい謂う安穏な暮らしというのが、私にとって一番の敵なのである。身を棄ててかかっているのである。
  • 骨を噛む悔恨と孤独。ギリギリの地点まで自己をつっ放して安心立命したいと希う。それをしなければ私は救われないのである。57才
  • 私の運命は好んで困難な道を歩む。、、なんというむずかしい世界か、しあkしやり遂げねば。カーニュに死すともよし。64才
  • 私には才能がない。ただ努力と根と運があるだけで今日まで歩いてきた。、、才能である。才能の不足である。73才
  • 絵を描くことは、長く遠く果てしない孤独との戦いである。64才