9時から学部運営会議。学部長を議長として入試・教務・就職など主な委員会の委員長などが集まり大事な案件の方向を確認し合意をとる会議。私の提出した案件は、「多摩大戦略図」に基づくカリキュラムの考え方で、前回と今回の議論に付し、賛同を得て産業社会論・問題解決学・最前線事例という組み立てで、現行カリキュラムを再構成することになった。

10時過ぎに中座して、多摩センターへ。桜美林大学多摩アカデミーヒルズの開所式に学長代理で出席。厚生事業団を所有していたウェルサンピアを桜美林が購入し、国際交流などを中心とする施設として活用することになったもの。宿泊は66室有り135名が泊まれる。研修室は13室。レストランや、アスレチック施設もある立派な施設だ。三谷宗務部長の講話と佐藤東洋士理事長の挨拶が印象に残った。聖書の言葉、建学の精神、創立者・清水安三、、、、。
祝賀会を途中で退席したが、おみやげにもらった「清水安三・石ころの生涯」を往復の電車の中で読了した。故人の著書、論文、エッセイ、説教、式辞などを編集したものだが、教育というものの崇高さを改めて感じた。清水安三は、1891年生まれで、同志社に学び神父になり、中国で学校をつくり、米国オベリン大学で学び、町田で桜美林学園を創立し、ついに宿願の大学までのつくることのできた(昭和42年)96年の崇高なる人生。中江藤樹新島襄賀川豊彦などが登場する。「せん方尽くれども望みを失わず」(98才)。「大学の設立こそは少き日に新島襄の享けし夢かも」。

15時に九段サテライトに到着。学長と少し打ち合わせをして、インターゼミを始める。最初の30分弱は学長講話。「環境・エネルギー」、「アジア」、「サービス・エンターテイメント」、「多摩学」の4つの大きなくくりが相関し、シナジーがあるということの説明だった。環境とエネルギーを考えることは経済のグローバル化を考えることであり、それはアジアに直結している。経済の成熟化は当然のことながら文化などのソフトが重要な社会になるが、そのポイントは「知・遊・休・美」をキーワードとするサービス・エンターテイメント産業である。そしてそれらを体現しているのが大学の足元である多摩に関する研究・多摩学である。ローカリティとグローバルとの緊張と相関の中で地域は発展していく。

学生・院生は4つのグループに分かれ、研究企画書づくりに向けて議論を開始してもらう。昨年からの2年目の学生もいるので、比較的スムーズに進んでいる。インターゼミ全体として進化していることを確認できた。
寺島学長メモ001.pdf 直


終了後は、金先生、長田先生といつもの酒場で飲みながら歓談。

帰りの電車で、寺島学長が「世界」に連載中の「脳力のレッスン」の98回目「問いかけとしての戦後日本、敗戦後のアジア復帰−−バンドン会議の意味」読む。親亜と侵亜で揺れ動いてきた近代日本が、戦後アジア社会に遠慮しつつ復帰したのがインドネシアの首都ジャカルタでのバンドン会議である。対米協調を軸にしたアジア復帰という文脈の中で、周恩来・高崎達之助の秘密会談が行われ、LT貿易につながり、17年後の日中国交回復につながていく。アジアとの貿易比重が5割に達した今日、アジアダイナミズムに真剣に向き合わねばならない。