「知る者、好む者、楽しむ者」−宮脇俊三の「鉄道紀行」人生

「仕事以外、何に打ち込んだらいいんだろう?」このように考える人もいるかもしれません。
これに対する私の答えは簡潔明瞭。好きなことに打ち込めばいいのです。
論語』に「これを知る者は、これを好む者に如しかず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」とあります。「そのことについて知っている人は、そのことを好きな人にはかなわない。そのことを好きな人は、そのことを楽しんでいる人にはかなわない」という意味です。つまり、楽しんで物事に取り組んでいる人がいちばん強いし、充実しているということです。
「好きこそものの上手なれ」という言葉もありますが、これも真実をついていると思います。得意なことより好きなことの方が重要です。好きなことをし続けていれば、最初は満足にできなくても、おのずと上達していくものです。
会社員でありながら、好きなことをし続けていて、いつしかそれが本業になり、数々の輝かしい功績を残した人がいます。宮脇俊三です。
宮脇は大学を卒業後、中央公論社に入社します。編集者として、『日本の歴史』シリーズや『世界の歴史』シリーズ、北杜夫の『ドクトルマンボウ』シリーズなど、数々のヒット作を世に送り出し、『中央公論』誌の編集長などを歴任します。しかし、51歳のときに、常務取締役を最後に、中央公論社を退職します。実は宮脇には、仕事以外に打ち込んでいたことがありました。それは、旅。それも鉄道旅行です。
子どものころから大の鉄道好きで、就職試験も、日本交通公社中央公論社を受け、双方に合格しています。結局、入社したのは中央公論社ですが、旅は趣味として、ずっと続けていたのです。その鉄道での旅も、まるで半端ではありません。なにしろ50歳のときには、当時の国鉄全線を完全に乗り切ったのですから。
中央公論社を退職した宮脇は、辞めた翌年に『時刻表2万キロ』を上梓し、この作品で日本ノンフィクション賞を受賞します。
その後も、『最長片道切符の旅』『時刻表昭和史』『時刻表一人旅』『インド鉄道旅行』など、数多くの著作を著わし、紀行作家として不動の地位を築きます。
会社員としても一流だった宮脇は、趣味も楽しみ続け、いつしかその趣味は本業になり、取って代わった本業でも、一流の仕事を成し遂げました。仕事に打ち込みつつ、趣味や勉強など、何かしらもう一つ打ち込むものを持つ。そうした人の人生は充実するし、ずっと輝き続けるものです。
宮脇俊三の強さ、あるいは強みとは何でしょうか。私は「テーマを持ったこと」だと思います。テーマとは「ライフワーク」とも言い換えられるし、「好きなこと」と言い換えてもよいでしょう。
宮脇俊三の場合は旅、あるいは鉄道旅行というものが、生涯にわたって彼のテーマであり、ライフワークでもありました。
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午後に、天王洲のJAL本社を訪問。少し時間があったので一階の喫茶でコーヒーを飲みながら空気を観察。会議室で広報部長と1時間ほど懇談。若い頃からの知り合いの空港ビルの役員とも偶然会う。ツアー会社の社長になっている元同僚のところによって意見交換。全体に靜かだった。