「世界人物逸話大事典」を神保町で発見

実篤が三歳のとき、父は死んだ。死ぬ少し前に二人の息子を見て、「公共(実篤の兄)はわるくいって大使にはなれる」、実篤を見て「この子をよく育てて呉れる人があったら世界に一人という人間になるのだが」といった。後年、祖母や母からこのことを聞かされた実篤は、父の言葉を信じ、誇りともし、父を嘘つきにしたくないと思って生きたという。(村松梢風「現代作家伝」)

実篤の晩年の仙川の住まいに、夜ふけて電話があった。妻が出てみると、新聞社からで、志賀直哉が亡くなった、急いで弔文を書いてほしい。これからオートバイで受け取りにいくからとの依頼。実篤は苦痛に耐えながら仕事部屋に行き、机の前に坐った。妻も暗澹として居間でずっと起きていた。真夜中を過ぎても、ほかからは何の連絡もなく、もちろんオートバイは来なかった。明け方近くなって、これは変だと気がついた。朝になって実篤はその原稿を引き裂いた。力をこめて何べんも、細かく引き裂いた。それからまもなく、今活躍中の著名な作家同士のおのおのに、相手の死亡通知の電話が入ったというゴシップが週刊誌に載った。(同前)戸松泉

以上は、本日、買った「世界人物逸話大事典」(角川書店)の武者小路実篤の項目の一部である。九段サテライトでのインターゼミの前に神保町の古本屋街をひやかすのが私の小さな習慣となっており、本日の収穫がこの大きな事典だ。
「英雄伝」を書いたプルタークは、「逸話は単なる経歴よりも、よりよくその人物を端的に示すものだ」と考えていた。逸話は、その人らしさをいきいきと表している場合が多く、同時に人物の逸話を通して、その時代の雰囲気やそれを好んだ民衆の意識を知ることもできる。

世界人物逸話大事典

世界人物逸話大事典

この事典ではその人物の特徴をよく表現している逸話を収集している。調べるのもいいが、読み物として読むのも楽しい。
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午前中は教授会。その後昼食を食べた後、就職をテーマとした教員懇談会。
午後は、インターゼミ。
長田先生、金先生と蕎麦屋で懇親会。