細川護煕「内訟録−−細川護煕総理大臣日記」

細川護煕「内訟録−−細川護煕総理大臣日記」を読む。

内訟録―細川護熙総理大臣日記

内訟録―細川護熙総理大臣日記

熊本県知事の細川は92年5月の日本新党結成後、直後の参院選で4議席、翌年の東京都議選で20議席、そして93年7月の衆院総選挙で35議席を獲得した。自民党は過半数を大きく割り込み、自民党を飛び出した新生党小沢一郎は細川を首班に立て非自民非共産の政権を樹立した。この政権は結果的には8ヶ月で瓦解した。
記録を大事にするという家訓のあった細川は、総理時代に日記をつけることを決心する。16年前の記録を整理し、歴史的な政権交代のさなかに世に出した書物である。
表現上の特色は、「明言せり」「事実ならん」「いわざるをえぬ」など文語調の日記であることだ。また様々の決断の時に中国の古書や世界のリーダーの言などが随所に出てくることも特徴だろう。政権の内部、外部の関係者の証言も随所にあり、新聞の「首相官邸」は毎日下段に記されているのでどのような状況の中で総理が書いた日記かがわかる。
「このところまさに内憂外患、、。深更ひとり書斎にありて、来し方行く末、日本国の将来につきさまざまに思いをめぐらす中で、自らの出処進退につき、このあたりが総理の職を辞すべき潮時とはらを固む。、、小沢氏に取りあえず電話にて私の意中を伝え、氏もその決意なら致し方なしと了承す。」
鳩山由紀夫官房副長官「総理の平然とした態度に関心もし、また、人間らしさの欠如に怖さも感じた。党首代表者会議はあっけなかった。、、新生党小沢一郎代表幹事は目を瞑り涙をこらえているかのようにみえた」
山崎拓議員「選挙の翌日、YKKで会って「細川を担ぐ以外に数が足りないので、細川のところに行こう」という話でした。あの発想は小沢氏もしたけれどYKKもしたんですよ。確か小泉が言い出したと思います。しかし、瞬間タッチの差で遅れた。愕然としましたよ。」

細川は今日の時点でのインタビューに次のように答えている。

  • こちらに私心がなければ何ていうことはないですよ。
  • 西郷さんを読んで一番、印象に残っていることは無私ということと謙虚さということです。
  • 私にとって一番参考になるのは幽斎ですね。幽斎は常に中庸を行った。中庸とは右と左の中間ということではなくて、大道を行くということなのですが、それははやはり歴史感覚から生まれるものですね。
  • つまるところははらが坐っているかどうかだけなんですよ。やることは断固としてやるという私心のない人が、5、6人いたら、大抵のことはできる。

現下の政治情勢の中で読むと、当時の関係者の言動が興味深い。小沢、鳩山、菅などの現在の主役たちの息づかいが聞こえてくる本だ。細川護煕は突如新星のように中央政界に現れ、非自民非共産の歴史的政権を担当し、すぐに寂靜の中に入った。見事な出処進退である。
細川は「天の時」を知った人物だが、この「内訟録」も出すべきときに出した書物である。
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午前は、大手文具メーカーから二人みえて事業展開の相談。面白い展開になるかも知れない。
午後は、品川で研究開発機構評議員会。総合研究所、情報社会研究所、統合リスクマネジメント研究所、知識リーダーシップ総合研究所という4つの研究所と学部・大学院の相互の情報交換の場。終了後、諸橋学部長とコーヒーを飲みながらいくつか相談。