「知的生産貫いた革命家」梅棹忠夫さん--日経夕刊「追想録」

30日の日本経済新聞夕刊の「追想録」は7月3日に急逝した梅棹忠夫先生(民族学者)の記事だった。
タイトルは「知的生産貫いた革命家」で、書いたのは編集委員の中沢義則さんだ。先日この中沢さんから電話取材を受けたが、梅棹先生の生涯を語る素晴らしい記事にまとまっていた。また、梅棹先生の笑った顔写真がいい。

梅棹先生が京大人文研究所で最初に採用した助手の石毛直道(現在国立民族学博物館名誉教授)が贈った梅ジャムの話題から始まって、後半は中学生時代に書いた「山城三十山記」と最後に監修したDVDブック「カラコルム・花嫁の峰チョゴリザ」をあげ、「知的活動を山で始め、山で終えたのは、生涯を「探検」に懸けたスケールの大きい行動派学者、梅棹さんらしい。」と締めくくっている。

私のインタビューは次のようにまとめられていた。
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「それでも梅棹さんを「先生」とあがめる、自称「梅棹門下生」は全国にいる。多摩大学教授の久恒啓一さんもそのひとり。「梅棹先生は学者の専売特許だった知の世界、学者の秘技とされていた知的生産を一般に解放した革命家だった」という。
 久恒さんが梅棹さんのベストセラー「知的生産の技術」(岩波新書)を読んだのは刊行翌年の70年。九州大学の学生で、「僕のバイブルだ」と思った。日本航空に入社したが、知的生産に思いを抱き続け、仲間と書いた本が認められて大学教授に転じた。
「私と同じように、あの本をバイブルにした人たちが立ち上げた勉強会「知的生産の技術研究会」が私の原点、だから梅棹先生は恩師です。」
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そうすると、名著「知的生産の技術」が世に出た1969年の翌年の1970年に、「知的生産の技術」研究会が誕生しているが、1969年に大学に入学した私がこの本を読んで知的生産に目覚めたのと知研の誕生は奇しくも同時だったということになる。
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春学期最後の講義。全15回を終えてアンケートに総括的な感想をもらったが、反応はよかった。
昼休みは、出原先生、池田部長と多摩学資料センター関係の打ち合わせ。今泉先生、樋口先生とiPad談義。
九段サテライトで大学運営会議。
夜は京王永山に戻りゼミ生と飲み会。寺下、松本、宮城、高倉、加藤という面面。2年生から4年生。同じ居酒屋には英語の先生達、近所の居酒屋には金子ゼミの飲み会。今週で春学期の授業期間が終了するので、先生たち同士やゼミの飲み会が花盛りだった。