手帳=「人生の経営資源」、、最高レベルの生活を送るツール

タイムマネジメントを論ずるならば、当然のことながら「手帳」に触れざるを得ない。
私はそもそも「手帳」という言葉に問題があるように思う。手に入る帳面、の略が手帳であるが、形を言っているだけで中身について言っているわけではない。
それでは、手帳とは何か。それは、人、物、金、時間、情報、システムといったさまざまな「人生の経営資源」を最適に組み合わせながら、最高レベルの生活を送るためのツールである。
スケジュールとは私たちの持っている有限の時間資源を上手に使うためのものだし、電話番号簿や住所録は、手にしている人という資源のことだし、金銭出納帳は可処分所得の配分を示すものである。まず、考え方を変えよう。
雑誌などで手帳術の特集をよく見かけるが、成功者の手帳術をそのまま真似しても、そうそう時間管理はうまくはならない。
成功した人には時間管理が下手な人などいない。彼らは時間管理に自分なりの「哲学」を持っているから、「手帳を」を使いこなせるのだ。手帳術があるから時間管理ができるのではなく、時間術に長けているから手帳を十分に活用することができるということだ。
 ではどうしたら時間管理が上手になるか。それに対する答えは、自分の能力以上の仕事を引き受けることである。その覚悟がなければ永遠にタイムマネジメントはうまくはならない。暇な人は時間の使い方などに頭を悩ますことはない。能力の限界を超えた仕事量になっていれば、知恵を絞り、工夫して、時間を有効に使おうとせざるを得ない。そういう状況に自分を追い込んだ人が時間管理の達人になる。
 今日という日の積み重ねだけで生きている「その日暮らし」の人は、「点」で生きている人だから「点的生活者」と名付けよう。一週間で流れを区切っている人は「その週暮らし」の人だから「線的生活者」、一ヶ月を睨みながら時間を使う人は、いわば「面的生活者」である。
 面的生活者として今からひと月のスケジュール表を鳥の目で高いところから眺めると、高い山、低い山、なだらかな丘、そして静かな平野などが一望できるだろう。この絵図のような時間世界を眺めながら、頂点であるクライマックスへ向けてできる限りの手を打っていき、最高のパフォーマンスを実現していきたい。その連続が仕事人生なのだ。
 そのような考え方を形にしている手帳にはなかなかお目にかからないから、自分で「知的生産手帳」という名前でこの10月に東洋経済新報社から刊行した。公人・私人・個人という三つの生活を楽しみながら知的生産を目指そうという手帳であるから、「マルチ手帳」とも呼んでみたい。

知的生産手帳 2011

知的生産手帳 2011