「仙がい ―禅とユーモア―」(出光美術館)

昨日22日だったが、間違えて23日に書き込んでしまいました。この内容は23日分です。
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土曜日は、品川サテライト(大学院の修士論文中間審査)と九段サテライト(インターゼミ)を渡り歩く間の時間を利用して、出光美術館を訪問した。
今やっている企画は、「仙がい ―禅とユーモア―」である。この人物のひょうひょうとした禅画には親しみを感じていた。
仙がい(1750ー1837年)は、臨済宗を代表する名僧であり、九州博多の日本最古の禅寺聖福寺の住職だった。「がい画無法」(仙がいの絵には決まった法などない)という精神にもとづいたユーモラスで自由奔放な絵を描いた。そして禅にかかわる味わい深い讃文を添えた。

画の魅力で人を惹きつけ、「おや」と思わせて、興味がわいたところで讃文に目がいき、禅の教えを伝えていくという手法である。

この僧は偉い僧だけが着ることのできる紫衣を生涯三度にわたり推挙されたが、その都度、一生涯黒衣でよいとして断っている。

以下、この人が書いた一行書に共通することは、寡欲、知足、作善、利他行、などだ。

寡欲則心自安(分相応の知足の生活を送っていれば、様々の欲望は起こらない。それができたら人の心は安らかである9
富莫大於知足福莫盛於無禍(富というものは足るを知ることを知るより大なるものはなく、福も禍がないことよりも盛んなるものはない。)
無事是貴人(一切の念や欲望から自由な者こそが尊い)
「一日不作一日不食
正見。ものごとを正しく把握し、認識する。
一円相画讃。 「これをくふて 茶のめ」という讃のついた円(○)。
円相図。 ○は円満具足の境地を表す。完全円満の象徴。悟りの境地。

「三聖画讃」 「神儒仏 三ツ足て立鍋への内 熟ツくりとして むまひものなり
讃文は、神、儒、仏を一つの鍋で煮込んだなら、実にうまい鍋となるであろう、という意味だ。神道儒教仏教は、結局は同じであるという主題。

○△□は、□△○という順番に左から描かれている。この作品だけには賛はついていない。
□は修業前の自分。△は修業途上の自分。○は修業を完成させた円き自分。こういう解釈だそうだ。修業の三段階。宇宙の画。