長寿化社会は遅咲きの時代である

12月発刊の次の著作の「まえがき」の第一稿。
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2005年1月から本格的に始めた全国を巡る「人物記念館の旅」も早いものでもう丸6年になった。100館を超えたあたりでは、「百説」という言葉があるように、入門というか卒業というか、ある地点に立ったという感慨があった。200館を超えた時には、この旅は「聖人巡礼の旅」だと意識することになった。その旅もいつの間にか300館を超え、400館に迫ろうとしている。
21世紀に入って、経済至上の世の中の趨勢が反転し、いずれは精神性の時代に入るのではないかという漠然とした予感のもとに始めた人物記念館の旅は、面白さに取り憑かれて、今や私のライフワークになっている。
その「人物記念館の旅」の巡礼の中で得た結論は、「人の偉さは人に与える影響力の総量で決まる」、ということである。広く影響を与える人は偉い人だ。そして広く深く影響を与える人は、もっと偉い人だ。更に広く深く、そして長く影響を与える人は最も偉い人である。
遅咲きの人には長く仕事をしている人が多い。世に出るまでの修行の期間が長く、その間にじっくりと自身の力で成熟しているから、遅咲きの人は長持ちしている。したがって影響力の総量において実は早咲きの人に比べると圧倒的に勝っているということになる。そして、今日に至るまで、彼が生きた時代を超えてその影響が及ぶということになると、その総量はとてつもなく大きくなり、その人は歴史の中で「偉人」になっていく。
さて、ここ数年、大学で近代日本の偉人の生き方を紹介する授業を展開しているが、学生の反応に手応えを感じている。偉人の人生と彼らが絞り出した、「志」「出処進退」というような至言に心を打たれる若者も多い。また彼らは早熟の天才よりも遅咲きの努力型の偉人の方に関心を寄せている。よりよく生きようとしている若者の姿は今も昔も変わらない。教育の現場においても「偉人伝」を取り上げることの意味と意義は大きいように思う。
又、私の現在の職場である多摩大学は、創立20周年を機に「現代の志塾」という教育理念を掲げ、「志」を磨く少人数教育を実践している。その一つとして高校生向けに「私の志」小論文コンテストを行ったところ、原稿用紙6枚という量にもかかわらず初年度は353件、二年目の今年は北海道から沖縄まで1157件という思いがけない数が集まって関係者一同驚くこととなった。どうやら、死語と化していた「志」という言葉は、若者の心に響いたようである。時代の底流に変化が起こっているかも知れない。

「少にして学べば則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば則ち老いて衰えず。老いて学べば則ち死して朽ちず。」江戸時代の儒学者佐藤一斎の味わい深い言葉である。生涯学習の時代にふさわしい言葉だ。この本で取り上げた近代日本の偉人に共通するのは、「死して朽ちず」、つまり素晴らしい業績をあげた人物の醸した香りが後の世の人にも影響を与え続けているということである。
長寿化社会は遅咲きの時代である。徳富蘇峰は「世に千載の世なく、人に百年の寿命なし」と語ったが、私たちは人生100年時代を迎えようしている。これからの時代では、70代、80代、90代という人生後半の人々の中から様々の分野でスターが生まれてくるだろう。そういった時代を生きる上で、この本で取り上げた遅咲きの偉人達の生き方、仕事ぶりは大いに参考になると思う。
「少子高齢社会」には問題山積みという論調が多いが、高齢者こそ長い時間をかけて何事かを為すことができるし、その姿が、少なくなる若者への無言の教育にもなる、そういう時代になっていくだろう。

さて、ビジネスマン時代から続く私の著作生活も、いつの間にか初の単著から20年、また最初の共著から30年近くになった。今まで要請に応じて書き続けてきたビジネス分野とは異なって、この本は新たな地平を切り拓くスタートとなった。今までとは系統の違う本に挑戦したこともあり、この本は長い時間と大きな労力を要したこともあり、苦戦はしたが私にとっては思い出深い記念碑的な本となった。それが100冊目の著書になるという偶然に驚いている。
最後になったが、、、、、。