「17世紀オランダ」からの視界

リレー講座は、寺島学長の講義。

  • 「17世紀オランダ」からの視界。急激な隆盛と一気の衰亡。日本とのアナロジー。
  • 文化(フェルメールレンブラントデカルト、スプノザ、、、)。ニシン漁、造船業
  • 長崎の「出島」はオランダ政府の出先ではなく、オランダ東インド会社の出張所だった。
  • オランダは王国ではなく、連邦共和国だった。
  • オランダの造船会社にロシアのピュートル大帝が船大工として修業し、その後サンクトペテルブルグの建設(1705年日本語学校)、ウラジオストック(東を制服せよ!)の建設など東に向かう。このロシアの接近が北海道防衛の動きになり、八王子千人同心(旧武田)の北海道防衛につながっていき、日本近代のトビラを開いていく。
  • アメリカとオランダとの関係。アメリカ建国の父・ピルグリムファーザーズは、イギリスから出て一時10数年にわたりオランダで過ごし、その後にアメリカにわたる。
  • ニューヨークは、もとはニューアムステルダムと称していた。
  • オランダの影響は、アメリカ大陸の東から西へ向けてのフロンティア開拓につながり、西海岸に到着する。そして南米のマゼラン海峡をわたって1853年のペリー提督の浦賀来航になっていく。
  • オランダの影響は、アフリカ喜望峰を超えて、バタビア、オランダ領台湾、長崎出島へと連なっていく。
  • 北極海からベーリング海峡を通って太平洋へというルートの開拓は失敗している。
  • 1600年(関ヶ原)に豊後の臼杵にリーフデ号が漂着した。この船は2年前にロッテルダムを出航し大西洋を越えマゼラン海峡をわたり日本を目指した。石見銀山に代表される銀に関心、ラシャ(毛織物)の売り込み。
  • リーフデ号は浦賀に回航され廃船となった。浦賀は北条水軍の拠点だった。これが徳川水軍になった。
  • この船に乗っていた、ウィリアム・アダムス(後の三浦按針)とヤン・ヨーステン八重洲の語源)は家康と会う。家康は鉄砲を購入し関ヶ原で使った。
  • 豊後は大友宗麟の後、衰亡するが、幕府は分断統治を行い小藩乱立となる。
  • 家康は御朱印船貿易を始め、タイ、ベトナムとも交易。なぜオランダと交易をしたのか?オランダはキリスト教の布教が目的ではなく、貿易を目的としていたからだ。
  • 東洲斎写楽のオランダ人説もある。木版画、銅版画。浮世絵にベネチアのゴンドラが出て来る。
  • 8代将軍・吉宗に「オランダ風説書」を献上。
  • 日本と世界史とはつながっている。
  • 江戸時代の日本は本当に鎖国だったのか?

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午前。学長室ミーティング。ホームページ打ち合わせ。
午後。尾崎総務部長と面談。学長、諸橋学部長、趙先生、菅野先生、、。リレー講座出席。友人の清水一巳君と研究室で歓談。ホームゼミ。ゼミ生の春風、野田君と進路面談。教務・杉本さん。