中野孝次「ガン日記」(文芸春秋)

先日訪れた神奈川近代文学館で「清貧の思想」の著者・中野孝次が12年間という長い間、館長をつとめていたことを知った。現在の館長はある若いころ自宅を訪問しインタビューをしたことのある文芸評論家の紀田順一郎氏であることも本日の新聞で知った。この文学館はいい企画をするという印象があるが、館長に人を得ているからだろう。

近代文学館で買った「ガン日記」(文芸春秋)を読んだ。
2004年2月28日体調への不安から日記は始り、入院に向かう3月18日に「風強し、暖。今日よりい約2ヶ月半、初めての病院生活と医療的拷問との日々始まるか、と思う。しかし、すべてそのときそのときに応ずればよしと覚悟は定まりてあり。」で日記は終わっている。そして3ヶ月後の7月16日に食道ガンで中野孝次は亡くなっている。享年79歳。

中野は、体調の異変を楽しみの日曜碁会で気づく。60数歳までのヘビースモーカーと、もっと前からの酒呑み生活の結果であるとの受け入れからこの日記は始まる。紀元1世紀頃のローマの哲人・セネカ著作に親しんできた中野は死に対処する心構えを学んでいたため、比較的冷静に運命を受け入れるが、それでも心が揺れ動く。

‐運命は、誰かに起こることは汝にも起こるものと覚悟しおくべし、自分の自由にならぬものについては、運命がもたらしたものを平然と受けよ。できるならばみずからの意志で望むものの如く、進んで受けよ。
‐従容として死につく、という言葉あり、人の死の理想たるべし。
‐よし、あと一年か。それなら、あと一年しかないと思わず、あと一年みなと別れを告げる余裕を与えられたと思うことにしよう、一年を感謝して生きよう、とようやく思定まる。
‐春の夜やガンをいだきてひとねむり

中野孝次には、「ハラスのいた日々」「犬のいる暮し」という愛犬との日々を書いた傑作がある。「二匹ともふだんより強く牽く。こちらの意志を理解せしやと感心す。」とあるように、犬好きの中野は書く。

セネカ著作唐詩選に親しんでいた中野孝次は、死に対しての心構えを身につけているのだが、人生最後の入院時には「うちの藤沢周平全集」のうちの何冊かと、宮城谷昌光の小説を何冊か持っていく。

「これまで僕は文学に行き、いい文章を読んで人生を送ってきたが、それは本当に良かったな、いい人生だったな」としみじみと語ったと回想している。また「私はやっぱり彼と結婚してよかったんだな、と思っております」とも述懐している。

2001年5月3日には、「死に際しての処置」という遺言を書いていた。いくつかの項目を記した後、自らの人生を以下のように総括している。
「顧みて幸福なる生涯なりき。このことを天に感謝す。
わが志・わが思想・わが願いはすべて、わが著作の中にあり。予は喜びも悲しみもすべて文学に託して生きたり。予を偲ぶ者あらば、予が著作を見よ。
予に関わりしすべての人に感謝す。さらば。」

まだ病気になる以前に書いた遺書である。毎年遺書を書くという習慣を持っていた人物もいたという記憶もあるが、いい習慣かも知れない。

この「ガン日記」は、死後数年たって発見されたもので、出版を意識したものではないようだ。それゆえ心に響くものがある。

「ハラスのいた日々」と「犬のいる暮し」(これは読んだ記憶がある)を読もう。