NGOの女性幹部が来訪、日刊ゲンダイの女性記者から取材を受ける


世界各地で起きた紛争や自然災害などで、厳しい状況に置かれた人々の「自立」支援を行うNGOとして活発な活動をしているJENの事務局の木山さんと浜津さんが見えた。JEN(ジャパン・エマジェンシー・NGOs)というNPOは、「自立支援」を旗印に19ヶ国で160万人以上の人たちの支援をしてきた。http://www.jen-npo.org/

このNGOは、Chabo!( チャボ )は、Charity Book Program( チャリティ・ブック・プログラム )を持っている。印税の一部を寄付するというプログラムで、以下のビジネス本を中心とした著者たちが名前を連ねている。Chabo!に登録されている本が売れると、その本の著者の印税の20%が 特定非営利活動法人JENを通じて、世界中の難民・被災民の教育支援、自立支援に使われるという仕組みだ。
勝間 和代、酒井 穣、和田 裕美、小宮 一慶、竹川 美奈子、山口 一男、久恒 啓一、神田 昌典、高野 登、山田 昌弘。
http://www.jen-npo.org/chabo/about/

スーダン、新潟、スリランカ、ハイチ、アフガニスタンイラクパキスタン、、、こういうところが彼女らの現場である。

このNGOへの協力の一環として、国際協力人材のためのコミュニケーション研修を寄付しようという申し出を行い、その打ち合わせのために見えた。まず3月行うことになった。

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日刊ゲンダイ」というサラリーマン紙がある。ビジネスマン時代は駅のスタンドでよく買っていたし、今でもよく読んでいる。この新聞からの取材があって、女性記者の小川さんが多摩大に見えた。

テーマは「遅咲き」で、著書の内容以外には、江戸末期に活躍した渡辺崋山の人物論が主だった。崋山は、1万5千石という小藩の家老として飢饉を予測した施政などで大きな成功をおさめている。また世界の情勢に通じるために蘭学者たちとの交流も深かった。そしてライフワークであった絵画では当代一流で数々の名画を遺している。肖像画は特に優れていた。

40歳で家老になった崋山は、農業や海苔の生産などに励む。報民倉という米の備蓄のための倉庫をつくり、その米を後の天保の大飢饉の時に放出し、餓死者がなく幕府から表彰もされている。紀州藩破船流木掠取事件、幕命の新田干拓計画助郷免除なども解決している。崋山の蘭学を通じて外国事情に明るかった田原藩は軍備の近代化にも成功していた。絵画には遠見番所という灯台も設置した。
崋山は難破した漁民を届けようとしたモリソン号を幕府が打ち払った事件を「慎機論」で批判したという罪で、「戊じゅつ夢物語」を書いた友人の高野長英(1804年生まれだから崋山より11歳年少)らとともに捕らえられる。この蛮社の獄は、無人島渡航計画のうわさから出たもので10数名が捕らえられた。長英は永牢、崋山は蟄居を申しつけられる。「慎機論」では五大州のうちアメリカ・アフリカ・オーストラリアはヨーロッパの植民地となり、アジアでも独立国はペルシャ・中国・日本のみであり、その中でも西洋人と貿易などをしていないのは日本のみであると書いている。
画家としての崋山は、線を主体とした東洋画に、立体・質感・遠近などの西洋画の手法を取り入れている。一掃百態図などは庶民の生活を描いた動きのある名画である。両国橋図稿など動きのある風俗描写も素晴らしい。また、人物画に優れ多く描いている。写生の中に、人物の性格も表現した。崋山と椿山(弟子)の人物画の企画展も開催されていた。鷹見泉石、佐藤一斎、林大学頭述斎、崋山像(椿山画)、ナポレオンなど多くの優れた人物画をみる。崋山の先生でもある佐藤一斎の絵を興味深く見た。崋山は19歳の時に学んでいる「年を重ね穏やかになった一斎」と解説がある。一斎夫妻像は夫80歳、妻73歳のときの全身像である。刀、扇子、脇差、烏帽子なども細かく描かれてある。一斎は有名な儒学者で、名言が多く、西郷隆盛なども一斎に大きな影響を受けている・「少にして学べば壮にして為すことあり 壮にして学べば老いて衰えず 老いて学べばすなわち死して朽ちず」という私が一番好きな言葉は、この一斎の言葉だ。一斎は1772年生まれで88歳の長寿を全うしている。美濃岩村藩の出身で34歳の時に幕府の昌平坂学問所塾長になっている大儒である。

このテーマだけでなく、話は全般におよび楽しい時間を過ごした。
13面の「会社に生きるサラリーマン」という面に、来週あたり記事が出るとのことだ。