阿川弘之「南蛮阿房列車」を読んで思い出したこと。

清水博(場の研究所所長)の小論に偶然に触れる機会があった。

「西欧の近代思想は、要素を発見し、その要素を積み上げて積み木のように世界という構造物をつくっていく「積み上げ型の思考」」であり、そのような世界を理解するためには、論理、ルール、法則の存在が重要になる。こういった思考法では、常に関心は全体に向かい、その構造を究明しようとする力学が働く。

「日本の場の思想は、相違なり相対立しているかのように見える多種類の要素が意識の深層で一つの場所に位置づけられ、「一即多、多即一」の形をもって存在している」という考え方である。
この考えから出てくるのは、様々の要素を場の中にほどよく配置して世界を一つの全体像にまとめていくという「配置型の思考」を生む。自然の場に調和するように人工物を配置することに配慮する。したがって場の統合に関心が向く。だから場に存在するものの横のつながりを大切にする。部分調和を大事にするから、部分同士の関係に関心が集中するため、全体を構築することが苦手になる。

日本では場の思考が、積み上げ型の思考を取り込んで織物にする形でなされてきたのだが、これからは漂流しないために、借り物ではない未来へ向かう構想、つまり全体像を構築する必要がある。

自分なりに以上のように理解してみたが、清水の考えを自分にひきつけてもっと理解する必要があると感じる。西田幾多郎の場所の哲学、湯川秀樹の非局所場の理論、などにも手を伸ばしたい。

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阿川弘之「南蛮阿房列車」を読了。
阿房列車は、内田百けんの名作シリーズで、その衣鉢を継ごうという人が誰も現れないので、試みに自分が書いてみるということで、汽車に乗る旅を好む阿川弘之が書いた本だ。列車の旅は道中をともにする相棒が必要だ。相棒は同年代の孤狸庵・遠藤周作とまんぼう・北杜夫。乗物狂でせっかちな阿川と躁病・遠藤と鬱病・北の三人を中心とする弥次喜多道中は愉快だ。

南蛮阿房列車 (光文社文庫)

南蛮阿房列車 (光文社文庫)

阿川弘之さんには会ったことがあることを思い出した。ビジネスマン時代に広報誌の編集長をしていた時、原稿を頼んだ部下が失敗をして阿川さんが怒ったことがある。「瞬間湯沸かし器」というあだ名があるということを知っていたし、またこの人のエッセイを愛読していた私は、海軍仕込みの5分前の精神が大事だといつも語っていることを心にとめていた。
すぐにお花を届け、訪問時間を連絡し、そして阿川邸で5分前に玄関のベルを鳴らした。阿川先生は少し前に来たことにご機嫌だった。そして海軍ファンであった私がいろいろと海軍の組織や人事の良さを述べると非常に喜ばれた。そして「あなた海軍ですか?」と言われ、「いえ、私は若いんです」と答え爆笑となった。
すっかり仲良くなり、その後、社内の懸賞論文の審査委員長をお願いしたりした。また紹介されて息子さんの阿川尚之さんからも連絡をいただいたこともある。仙台の大学にいたとき、もとの勤務先であるJALの支店の社員である阿川先生の末子の若い青年と知り合ったのだが、自宅に伺ったときのエピソードなどを話題にしたことも思い出す。
そういえば、阿川・遠藤・北の三人の珍道中を記した「欧州奇人特急」は、講談社日航の主催の文化講演会のときの話題だと書いてあった。
つい最近まで文芸春秋の冒頭のエッセイを長年かかれており、私も愛読していた。

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今日はS出版社の編集者が大学に見えて、企画が通った秋に出す本の具体的な相談をした。「類書がない」ことがこの本の特色だから、それを前面に出すことになった。