名を成した日本の偉人はどのように勉強したか?

人物について調べていると、彼らが実行した勉強の方法に遭遇し、興味が尽きない。幾人かを並べてみよう。
名を成した日本の偉人はどのように勉強したか?
キーワードは、継続・時間管理・日記・旅、、、。

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本多静六

本多静六は25歳からアルバイトとして一日一頁(32字・14行で448字相当)の文章修行を始めた。42歳の時に腸チフスにかかって休んだ分を取り返すために一日三ページに目標を改め馬力をかけたのが新しい習いとなって、一年で千ページというのが新しい取り決めとなった。この習いは85歳までも続いたため、中小370冊の著書を持つようになった。

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渡辺崋山

藩士としての重責を担いながら、学者や画家としても活躍した渡辺崋山は、”マルチサラリーマン”のかがみといえる。ただ彼も、才能を開花させたのは人生の後半だ。
2時間単位のムダのない生活スケジュールは、今でも参考になる。行動が制約されていた時代、メモやスケッチを多用して効率化を図るなど、時間の使い方にたけていた。睡眠時間は3時間、不眠説もあるぐらいで、まさに刻苦勉励型の努力家だった。
崋山はスケッチやメモをとるという方法を用いていた。崋山の優れた観察眼の秘密はこのスケッチやメモにある。

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原敬 
 
何といっても19才から65歳までの日記83冊の「原敬日記」の存在が凄い。
遺書には「余の日記は、数十年後はとにかくなれども、当分世間に出すべからず、余の遺物中この日記は最も大切なるものとして永く保存すべし」とあった。このため本箱ごと盛岡に送られ、保存されていたため、関東大震災にも東京大空襲にもあわずに後世に遺すことができた。この日記は没後30年たった1950年に公開されて、出版された。
原はどうやってこの日記を書き続けてきたのだろうか。毎日、簡単なメモを取っていてそれを材料に一週間に一回詳細にきちんとまとめた。パソコンやブログのような便利なツールがない時代に、激務の中で継続して書き続けた意志力には感銘を受ける。

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吉田松陰

松蔭は日本中を歩き当代の一流の人物に会って学んだ。長崎、平戸、北九州各地、東北諸国。東北では藩の通行証の発行を待ちきれず、脱藩するまでしている。
平戸では80冊、長崎では26冊の本も読んだ。松陰の勉強法は「読書しつつ、要点を一々抄録する」というものだった。要点を書き取るという勉強法だ。

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