宮城復興会議での4つの提言

本日のリレー講座は寺島学長。

  • 空海:天才バイリンガル。理科系の技術者。薬学、土木、冶金工学。500万人の島国日本の時代。綜芸種智院。国家仏教
  • 親鸞東本願寺での「今に生きる親鸞」。90歳。妻・恵信尼。謙虚。目線が低い。絶対平等主義。他力本願の思想。
  • 浄土宗とキリスト教高野山景教キリスト教)の碑がある。キリスト教は愛・神のもとに平等という思想。和辻哲郎「日本精神史研究」。イエズス会宣教師。内村鑑三鈴木大拙。「維新は和魂洋才、敗戦は無魂洋才、グローバリゼーションは洋魂洋才を求められている」(五木寛之)。日蓮は世の中に立ち向かえ、念仏のみでは邪道、政治的。
  • 宮城復興会議1.産業基盤の創生と雇用の確保:もともと半分は老人になろとしていた。震災で過疎化、高齢化はさらに進行。第一次産業(農業・水産業)の基盤の造り直しが必要。震災で2万隻の船が消失。224万円の年収だった。せめて300万に。製造業は空洞化の懸念。円高、電力料金、労働力、増税。韓国・台湾・ASEANは、特恵関税・安い電力料金などで誘致熱。日本は震災復興特区などインセンティブを考えなければならない。
  • 2.アジアダイナミズムとの相関:宮城ー山形ー酒田港ー日本海ーアジア。新潟ープサンーアジア。
  • 3.震災に遭った8市・7町の15市町村のグランドデザインが必要だ。防災・産業再生・環境・エネルギー・民政安定など15のプロジェクト。挑戦したいテーマが必要。
  • 4.参画という視点:復興プロジェクト推進隊の創設。全国から公募し若者の参画を誘発。30億円・3年間で90億円。これは義捐金と民間支援でまかなう。1400兆の資産の大半を持つ高齢者は資金面で協力。無利子復興国債相続税減免。これで10兆円は集まる。
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ホームゼミ。

  • 3つのグループでプロジェクトを推進。
  • 図解ゼミ。3つのグループで発表と議論。



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本日発売の日刊ゲンダイにインタビューを受けた記事が載っているはず。内容は以下。
「遅咲き偉人伝」著者で多摩大教授の久恒啓一
 北里柴三郎森鴎外(写真)の2人の生き方は、組織人として、年下や同級生が上司となった際のヒントになるでしょう。
 後に「日本の細菌学の父」と呼ばれる北里は、東大医学部出身。文部省推薦の留学生枠には満たない8番目という成績で卒業したため、内務省衛生局へ入局した。
 そして、4歳下の後藤新平の下に付くように命じられる。後藤は地方の医学校出身。要するに、「自分よりデキの悪い年下の上司」に従えという人事でした。
 北里は「私は最高学府を終えた者。後藤とは教養を異にする。その下風に立てない」などと談判したといわれますが、もちろん、その主張は認められません。北里は上司の後藤を「浅学の田舎医者」と揶揄し、後藤は部下の北里を「横文字好きの青二才」と軽蔑。2人は事あるごとに衝突し、犬猿の仲として知られましたが、ある時、立場が逆転した。
 北里はベルリン大学へ留学しましたが、その4年後、後藤も同研究所へやって来て、今度は後藤が北里の下となる。内務省での序列うんぬんでひと悶着あったようですが、先輩留学生の北里が上に。2人は結局、思う存分喧嘩を通じ、最後は盟友となっています。
 もうひとり、森鴎外は、陸軍軍人と文学作家の二足のわらじを履いた明治の大文豪。ですが、勤め人としては必ずしも順風満帆ではなく、九州の小倉へ左遷されています。
 左遷ではないという説もありますが、鴎外の、大学の同期で8歳年長の小池医務局長へのライバル意識が原因で、飛ばされたともいわれている。
 鴎外は左遷先での生活を「充電期間」ととらえ、与えられた目の前の軍務をまっとうした。もっとも、気分が乗らなかったのか、執筆活動はまったくといっていいほどなかったようですが。
 2人の共通点は、はらわたが煮え繰り返っても、「与えられた仕事を懸命にこなし、結果を出したこと」です。