大震災後の仙台と栗原を訪ねる。

久しぶりの仙台。福島あたりから屋根のブルーシートがちらほら見かける。ニュースでみた仙台駅の被害も癒えてはいたが、配管などはむき出し。新幹線の車内誌トランヴェールでは東北ゆかりの著名人のエッセーが並んでいた。その中に、東北がニュースに出てくるのは悪いことが起こった時だけだと言われたという記事があって胸が痛い。
出迎えてもらった横野さんと息子さんと市内を走って泉パークタウンの紫山へ。自宅の様子を外から確認し安心する。この街は地震の被害はほとんど感じられない。やはり素晴らしい街並みだと改めて思った。
東北道で栗原へ。市民活動支援センターで河北新報栗原支局の宮田支局長と会う。会うのは三年前の私の送別会以来だが、メルマガやメールでの交流もあるから久しぶりという感じはしない。宮田さんが宮城大を担当していた時にお世話になった。

栗原の築館は今回の地震では唯一震度七を記録した土地である。余震でも震度六だった。
三陸気仙沼石巻の惨状と取材の逸話を聞く。今回の大震災では河北新報の頑張りは群を抜いていたという評価は定まっている。地元の人に聞くと生活関連情報欄は本当に役にたったらしい。
復興構想会議、水産特区、ヒッチハイク、東北人の人間性、政治状況、天罰論、寺島論、論壇、、、、、。
河北新報をたくさん資料としていただいた。私のお土産は最近の著書。遅咲き偉人伝など。
あっという間にニ時間半が過ぎた。
夜は仙台のホテルで、富田さんと横野さんとゆっくり食事をしながら旧交を暖める。仙台市内はいつもの状況に戻っているようだが、よくみると被害のあとが残っている。