池波正太郎の原点がわかる「青春の忘れもの」(新潮文庫)

池波正太郎「青春の忘れもの」(新潮文庫)が実に面白かった。先日、ギリークラブの「浅草、池波正太郎記念文庫訪問〜人物記念館、訪問の達人久恒啓一氏と共に〜」でご一緒した新潮社の高橋さんから送っていただいたこの本は、確かに池波正太郎の原点がわかる本だった。http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20110606

青春忘れもの (新潮文庫)

青春忘れもの (新潮文庫)

池波正太郎(1923-1990年)。
東京・浅草生まれ。下谷・西町小学校を卒業後、茅場町の株式仲買店に勤める。戦後、東京都の職員となり、下谷市役所等に勤務。長谷川伸の門下に入り、新国劇の脚本・演出を担当。1960年(昭和35年)、「錯乱」で直木賞受賞。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の3大シリーズをはじめとする膨大な作品群が絶大な人気を博しているなか、急性白血病で永眠。

以上がこの文庫の右扉に載っている公式の著者紹介である。裏表紙には次のように書いてあった。非公式の著者紹介ということだろう。池波正太郎という稀代の小説家が出来上がるまでの青春の記録である。この小説家の本質はここにある。

関東大震災の年に生まれ、小学校卒業後すぐに就職。勤め先を転々としつつ、芝居見物を楽しみ、美食を覚え、吉原にも通う早熟な十代を過ごす。戦時中は旋盤工として働き、やがて海兵団に入団。戦後、脚本家への道を歩み始める。
両親や親族との思いで、友人や恩師との出会いを懐かしく振り返る清々しい回想記。時代小説「同門の宴」も収録。

  • この父の「なまけもの」の血と、母の「はたらきもの」の血の両方を私は受けついでいる。
  • 13歳のときから今まで何度も仕事を変えたが、いやな仕事は一度もしたことがない。
  • 叔父も歌をやるだけに、詩集や文学書がぎっしり書棚につまってい、これをやみくもに私は読みふけった。
  • 私はもう芝居と映画見物に夢中であって、その間隙をぬい、やたらめったらに読書をした。古事記から日本書紀万葉集から、むろん平家、増鏡まで読んだ。、、、中でも「海舟座談」のおもしろさというものは、、、。
  • 十代の一年は、中年男の十年に相当するようにさえ思える。
  • この旋盤工としての生活が、後年の私の劇作や小説の「構成基盤」となるのである。このときの経験がなかったなら、到底、私は脚本や小説が書けるようになれなかっただろう。

若い時代に偶然に接した有名な歌舞伎俳優、重光葵朝倉文夫らの実像も興味深かった。

この青春記は著者45歳前の作品である。五十を過ぎてから書こうと思っていた素材だったが、女性編集者のたっての依頼で引き受けたそうだ。この「青春の忘れもの」を読まれたあとで、この小説(「同門の宴」)を読まれると、私の小説書きの作業の一端が、よくおわかりいただけようかとおもいます。」と著者あとがきにある。この「同門の宴」も味わい深い短編である。

私にも30代で書いた未刊の「青春記」がある。北杜夫の「ドクトルまんぼう青春記」を念頭に書いた自伝的作品だが、この池波正太郎「青春の忘れもの」を参考に、改めて書き足してみたいと思わされた。