「漱石の思ひ出」(夏目鏡子述・松岡譲録)

漱石の思い出 (文春文庫)

漱石の思い出 (文春文庫)

漱石の思ひ出」は、夏目鏡子述・松岡譲録である。夏目漱石の妻が語る内容を松岡が記録し編集した本だ。
漱石が亡くなってもうすぐ13回忌という頃に、妻・鏡子の眼に映じた人間漱石、家庭における漱石の日常がつづられている。

通読した印象は、漱石は常に「頭がわるい」状態であったことだ。鬱病だろうか、そういうときには突飛なことを言うし、疑い深くなり、そして感情の起伏が激しくなる。そういう状態をこの妻は何とかしのぎながら子育てと来客の世話をしながら、漱石の執筆活動を支える。漱石は難しい男だった。

貴族院書記官長であった父のすすめで「余りぱっとしない中学教師風情」に娘をやろうとしたからには、見どころがあったのだろう、というのは鏡子の述懐である。漱石30歳、鏡子20歳の時に結婚する。

  • 「もう17年たつと、これが18になって、俺が五十になるんだ。」
  • おれは生涯どんなことがあっても、そんな称号(博士)は決して貰はないつもりだ、
  • 予の周囲のもの悉く皆狂人なり。それが為予も亦狂人の真似をせざるべからず。故に周囲の狂人の全快をまって、予もよう狂をやめるもおそからず---気味の悪いたらありませんでした。
  • 大概は学校から帰って来て、夕食前後十時頃迄に苦もなく書いてしまふ有様でした。
  • 此の頃の印税いふのがたしか1割5分だったやうですが、、金には執着の少なった人のことですから、、
  • 教授になった、その代り内職はまかりならぬとあっては、第一あがきがつかない。それにいつまで教師になっていても仕方がない。
  • 一体に夏目は涙もろい質で、人の気の毒な話などにはすぐに同情してしまふ方でした、、
  • 人との関係で気のつくのは、恐ろしく几帳面なことでございました。
  • 一体芸事でも何でも、上手下手はともかくとして、やりかけると中々熱心にやる方なので、、
  • 一体自分が頼まれて引きうけたことはき几帳面にする代りには、自分から人に頼んだこと、そして中へ入って人に引きうけさせたことなどには、極めて厳格で責任をもて貰ふことを要求して居ました。
  • 「辞令書を受領せらるると否とに拘らず、発令後の近日に於て、貴下は既に文学博士の学位を有せらるるものと認むる外無之候。(文学博士の称号を辞退したときの文部省の返事)
  • 非常に渋好みの癖に大のおしゃれ
  • 中々のハイカラでしたが、さうかと思ふと変なところで非常に旧弊で、頑固で可笑しい位のことがあった
  • 話でも非常にむっつりしているかと思へば、調子にのると案外の軽口で、駄洒落や皮肉をかっ飛ばして面白がるといふ風で、生粋の東京人のさうした一面をよく表していた、、
  • 一体頭さへ悪くない時には、随分の子煩悩で、
  • 岩波さんが、、、時々お金の融通を私どものところへ頼みにいらっしゃいました。
  • 女の子の方は放任主義、、、男の子が小学校に上がるといふ段になったら、、
  • 自分が悪いと思へば後ですぐに改める質の人でした。
  • 小説ばかり書いていると頭が俗になって堪らないとか申しまして、小説がすむと午後から漢詩を作るのが、この夏あたりからの日課、、
  • 「夏目先生の脳は平均よりは少し重かった(平均1350g。夏目1425g)、。解剖上重量以外に脳の能力を判断するもう一つの重な標徴は脳の回転であります、、非常に能く発達して居る、殊に左右の前頭葉とろ頂部が発達して居る。(解剖所見・長与又郎博士)
  • 文献院古道漱石居士