「道楽と職業」--漱石の職業観

夏目漱石の「道楽と職業」と題した講演録を読むと、示唆に富む見解がいくつも出てくる。漱石の生きた時代も大学を出た「学士」様もなかなか職業を持つことが難しかったようだ。天下の秀才の力を活用しないでいることはもったいないということから、漱石が提案しているのは、「大学に職業学という講座を設けてはどうか」ということだ。

「大学に職業学という講座があって、職業は学理的にどういうように発展するものである。またどういう時世にはどんな職業が自然の進化の原則として出て来るものである。と一々明細に説明してやって、例えば東京市の地図が牛込区とか小石川区とか何区とかハッキリ分かってるように、職業の分化発展の意味も区域も盛衰も一目の下にりょう然会得出来るような仕掛けにして、そうして自分の好きな所へ飛び込ましたらまことに便利じゃないかと思う。」

続けて、これは空想であって、こういう講座はできないだろうが、あれば非常に経済的だろうと述べている。現在全国の大学がやっている「キャリア」」に関する科目は、漱石が空想したものが実現していると言ってもよいだろう。

漱石は、西洋には爪を綺麗に掃除したり恰好をよくするという商売があると言っているが、これはネイルスタイリストだろう。

人よりも自分が一段とぬきん出ている点に向かって人一倍努力して、その報酬で自分に不足した所を人からもらって互いの平均を保って生活を維持する、これが専門というものだと漱石は言う。

道楽である間は面白いに決まっているが、その道楽が職業と変化するとたんに今まで自分本位であったはずが、一気に他人にゆだねることが多くなる。道楽は快楽をもたらすが、同じことをしているようにみえても職業となれば苦痛を伴うことになる。職業というものは、一般社会が本尊になるのだから、この本尊の鼻息をうかがいながら生活を送らざるを得ない、という見立てだ。

道楽と職業の一致する職業は、芸術家、科学者、哲学者などであり、こういう人種は一般社会というものを考慮しないで自分の好きなことをやっているのだから、生活は安定せず困窮するのが当然であり、科学者や哲学者などの学者は国が面倒をみるほかはないし、芸術家は貧乏と決まっている、ということになる。

この部分も原則はそうだが、「道楽と職業の重なり」という観点から考えてはどうだろうか。重なりが少なければ苦痛が増え、多ければ快楽が増すということになる。苦痛を快楽に変えるには職業に熱心に励むことでその職業が道楽の方向にいき、また道楽の部分を実際の職業の中で徐々に増やしていく。それが現代人の処世と思うがいかがだろうか。

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

漱石の講演録を編集した「私の個人主義」(講談社学術文庫)に、この「道楽と職業」が入っている。他には「中身と形式」「文芸と道徳」などの講演も入っており、通読の途中だが、世の中や生き方に関する漱石の鋭い観察や、温かいまなざしを感じることができる。

私のゼミは、現時点の内定率は5割ほど。内定者9人のうち、公務員が2人。

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  • 大学では試験が始まった。私は試験をやらずに最終レポートと出欠で成績をつけることにしているのだが、毎学期他の先生の試験の監督補助を引き受けている。問題用紙を配り、監督の合間に問題を読み自分ならどう答えるかなあとシミュレーションをしているが、ほとんどの科目では合格しそうにない。今日の午後一番の科目は「情報社会論」。
  • 午後の後半は、九段で大学運営会議。各部門からの報告を受けて学長から問題指摘やアドバイスなどがあった。
  • 終わって、文庫カフェで社会人大学院生の柳生さんとPHPの薄田さんと会う。出版企画の件、松下幸之助の話題、三洋電機パナソニックとの合併秘話など。松下幸之助のいろいろな施設を案内していただけるとのこと。
  • その後、行きつけの蕎麦屋で、柳生さんと、マインドシェアの須田さんと森田さんと焼酎の蕎麦湯割を飲みながら歓談。各省庁の補助金関係の情報など参考になった。