第20回野田一夫ファンクラブin仙台

朝5時の始発電車に乗って、東京発6時28分の新幹線に乗る。
車内で、野田一夫先生と合流。1時間ほど、多摩大の最近の事情などを報告しながら歓談の時間を過ごす。今日は、仙台での第20回「野田一夫ファンクラブ」が開催される。

199年頃に結成された宮城大の野田一夫学長のファンクラブは、2001年の退任後も毎年続いている。本人の弁によれば、「一夫」と名のついたファンクラブは3つあり、長谷川一夫舟木一夫のファンクラブはすでになく。野田一夫ファンクラブだけが健在という。

市内の江陽グランドホテルで開催されたファンクラブは、宮城大で同僚だった作家の瀬名秀明さんが今回のゲストで野田先生との対談を予定したいたのだが、急きょ私がコーディネーターということになってしまった。総合司会は、代表世話人の富田さんと事務局長の横野さん。
予想通り、野田先生の独演会となったが、会場のメンバーが喜んでいるので、止め役の私もなりゆきに任せることとした。パラサイトイブで衝撃的なデビューをした瀬名秀明さんは、宮城大、そして東北大の特任教授などを経て、現在は小説家として仙台に暮らしている。最近、200人以上の会員を擁する日本SF作家協会の会長になった。この会は、小松左京星新一手塚治虫などが設立した協会だそうだ。この会でも大震災への貢献が話題になっているとのこと。小松左京の「日本沈没」とその続編の話題から、野田節が冴えわたった。

挨拶は菓匠三全の田中社長、乾杯は東北電力副長だった青木さん、途中の挨拶は東北大学経済学研究科長の大滝先生、都市構造研究センター代表の南部繁さん、ITの権威・宮崎先生などから東日本大震災からの復興の動きが紹介された。一次産業の復興、それを担う人材の養成、復興基金ファンド、新産業の育成、雇用の創出、、。復興計画に地元のシンクタンクなどが関与できない仕組みになっていること、など問題も指摘された。

連休のさなかだったが、70名を超える人が集まり盛況だった。
JAの浅沼さんと消防士になった息子さん、河北新報にいた穴沢さん、常盤木学園なでしこジャパンの3人を育てた阿部さん、宮城大で同僚だった生嶋さん、雑誌「仙台経済界」代表の伊藤さん、フォトオオガミの大上さん、大崎市役所総務部長だった柏倉さん、泉パークタウンゴルフクラブ支配人だった川又さん、みんなの党宮城支部長の菊池さん、NPOキャリア開発機構の仲間喜多さん、みちのく伊達正宗歴史館長の佐藤さん、五葉商事の鈴木さん、仙台市議会議員の佐藤わか子さん、キャリアネットワークの佐々木さん、ジョブステーションの野口さん(宮城大後援会長)、大衡村職員の高嶋さん、常盤木学園理事長の松良さん、アルゴソリューションの宮崎さん、県会議員の遊佐みゆきさん、などと直接話ができて、久しぶりの旧交を温めた。仙台の飲食、建設業などは復興特需の景気、宮城大の現状、大崎師の様子、みんなの党の動き、なでしこジャパン、松島の様子、、、。

途中何度か、野田先生の演説があり、みなさん聞き惚れていた。

最後の締めの挨拶を頼まれた。

  • 私はこの会の創設以来の黒幕として活動をしてきた。これを機会に名誉黒幕と名乗ろうか。
  • 「人物記念館の旅」から得た「偉い人」とは、人に与える影響力の総量が多い人である。深く、広く、そして長く影響を与える人が偉い人だ。そういう意味からすると、野田先生は、ドラッカーの翻訳書以来50年以上にわたり影響を与え続けてきており、現役では最も偉い人ではないか。近代では慶応義塾を創設して今日まで影響を与えている福沢諭吉がナンバーワンだ。
  • 9月に多摩大東北「道の駅」現地調査に従事。道の駅は今回の大震災で大活躍をした。宮城県の8つの道の駅の駅長さんたちも現代の偉い人だという印象を持った。
  • 幸せとは自由の拡大である。経済的、時間的、肉体的、そして精神的自由。このすべてを手にしている野田先生はもっとも幸せな人でもある。
  • 人生のモデル・野田先生を見習おう!
  • 日野原先生は100歳。野田先生はそれ以上になるだろう。16年後を想像せよ。会員はみな年をとって誰もいなくなり、本人だけが残る可能性も。このファンクラブは今後もずっと続けていきましょう。

終了後、ホテルの最上階でファンクラブの幹事級の人たちで野田先生を囲んで二次会。大滝先生、川又さん、富田さん、横野さん、佐藤わか子さん、粟野さん、、。

その後、メトロポリンホテルのバーで裏方を担当した横野さんと息子の壮俊さん、岩澤さん、粟野さん、喜多さんらと三次会。