自由と平等ではなく、解放と平等。鈴木大拙

神保町の古本屋で見つけた、鈴木大拙座談集第一巻を読んだ。
座談の相手は、武者小路実篤、長与善郎、長谷川如是閑松永安左エ門福田恒存折口信夫和歌森太郎というそうそうたる人物たちだ。

鈴木大拙の発言を中心に追ってみたが、この本が出た1971年に大拙は、共産主義者はもう少し20、30年たったら反省してくるであろう、と言っている。ソ連が崩壊したのが18年後の1989年だから、予言はぴったり当たっていたのに驚いた。

リバティーやフリーダムを自由と訳したのは違う。本来は束縛から離れるという意味で消極的な言葉だ。本当は解脱や解放という言葉がふさわしい。解脱は仏教用語でもっと深い意味があるから、自由と平等というスローガンは、解放と平等ということになる。自由という言葉は仏教用語で、積極的な深い意味がある。これならわかる。

日本の国民性のもとになっているのは富士山だ。白い雪におおわれた頂きが青い空に映じてみえるというすがすがしい心持ち、けがれのない心持ちになる。この富士山が日本的性格に関係している
吉田茂が富士山と皇室が日本だと語っていたのはそいうことだったのだろう。

以上、感銘を受けたところをあげてみたのだが、大拙と多様なジャンルの知識人との座談は興味深い。