「群れない、慣れない、頼らない」(日本画家・堀文子)

花の画家」と呼ばれる日本画家・堀文子さんは93歳の今でも現役だ。「サライ」のエッセイをよく読んでいるが、「致知」の新年号にインタビューが出ていたのを興味深く読んだ。厳しい生き方だ。

  • 四歳の時に体験した関東大震災の影響。、、私の家に年をとった婆やがいて、驚くことに安政の大地震を知っていた。でもその人が総大将になって、、、
  • その時、「あるものは滅びる」って声が電流のように全身を貫いた。幼い心が悟りを受けたのです。
  • 、、皆さん、褒めてくださいます。貶す方はおりません。危険なことです。
  • 恐怖の連続です。そして絶えず、ああ、ダメだ、無能だと思う。その無念が私の道標で、私に絵を続けさせている原動力です。満足したことはない。
  • 大抵は若い時にちやほやされて、ダメにされるんです。
  • 自分を堕落させるのもよくするのも自分なんだ。
  • 安全な道はなるべく通らない。不安な道や未知の道を通っていくとか、獣道を選ぶとか。大通りはつまらないと思っている人間で、それがいまでも続いている。
  • いつ不安の中に身を置いて、昨日をぶち壊していくということです。ですから学ぶよりも「壊す」というのが私のやり方です。そして過ぎたことを忘れることです。
  • いつも自分を空っぽにしておくということです。
  • 私には必ず不安なほうを選ぶ癖があります。そのほうが初めてのことでビックリするから元気が出ます。とにかく自分をビックリさせないとダメです。
  • 「群れない、慣れない、頼らない」
  • 最後の最後まで、少しでも、一ミリか二ミリでもいいから、上り坂でいたいと思います。そして惨めに死ぬのではなく、生き生きと死にたい、と思っております。

同じ「致知」には、日本永住を決めたドナルド・キーンさんのインタビューが載っている。
源氏物語」で目覚めたキーンさんは、日本研究にのめり込み、「明治天皇」、「足利義政」、「渡辺崋山」などを書いている。キーンさんの「日本文学の歴史」というライフワークは25-26年かけて完成させている。そして有意義な仕事をすることに生甲斐を感じているキーンさんは、まもなく完成する「正岡子規」、そして平賀源内」の研究も考えている。

  • 新しい研究に取り組もうと思ったら、テーマを問わず、まず自分の視点を明確にして多くの書物を読み込まなくてはいけません。

貝原益軒(1630-1714年)の話も「致知」にある。福岡黒田藩の藩儒が退職を許されたのは71歳。それから著作に専念し、74歳から84歳まで「益軒十訓」と呼ばれる書物を書いている。
筑前国風土記」「五倫訓」「君子訓」(74歳)、「大和俗訓」(79歳)、「大和本草」(80歳)、「楽訓」「和俗童子訓」(81歳)、「五常訓」「家道訓」(82歳)、そして最後に有名な「養生訓」を書いたのは84歳であった。

今月号の「致知」は充実している。

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学内にて。いくつかの会議やゼミの合間に来訪者と面談。

  • 内閣府官房の地域活性化担当の長谷川企画官と名刺交換。年内に発表される総合特区の話を聞いた。
  • 出版に力を入れるY社の編集者が来訪。企画がまずひとつ確定したが、この会社の事業との関連でいくつかのアイデアが出て方向性がみえてきた。
  • B出版社の社長さんと知り合う。