「多摩よこやまの道」にトライ

天気がいいので、「多摩よこやまの道」を歩くことにして、妻とトライ。
この道は八王子市長池公園のあたりから多摩市諏訪の多摩東公園の脇までの整備された歩道で、全長は10キロ近くある。多摩市と都市再生機構が整備し、2006年に完成した。
府中方面からみた時に横に連なる高台の道と見えるために「横山の道」と古代から呼ばれていた。武蔵野(東京・埼玉)と相模野(神奈川)の両方を眺めることができた交通の要衝だった。

武蔵の国の国府であった府中から八王子までの多摩丘陵の尾根道は「多摩の横山」(東西が横、南北が縦)と呼ばれていたが、この東西に続く道は東国と西国を結ぶ要衝で、武蔵の国と相模の国の双方を眺めることができる高台だった。遠い九州での守りに着くために、この道を東国の防人は歩いて行ったのである。陸路で都へ、そして難波津から瀬戸内海を通り九州へ。

この横山に南北に交わる形で、長池公園の向かい側の唐木田給水所から、奥州廃道(多摩市総合福祉センターの横)、奥州古道、鎌倉裏街道(一本杉公園あたり)、鎌倉街道上ノ道(南野高校のあたり)、鎌倉街道多摩ニュータウン市場のあたり)、古代東海道(展望広場のあたり)。この道は多摩東公園、多摩武道館まで続いている。現在ではこの横山に沿って尾根幹線道路(通称オネカン)が続いている。防人たちが見たであろう丹沢(相模)から秩父(甲斐)の山系とその先にある富士山は、この横山の道の府中側にある私の研究室から眺めることができる。毎日眺めている景色は、古代から中世、江戸時代に渡って、政治、軍事、文化、産業、社寺参詣などを目的として東国西国間の交易を行う商人や武士団、諸国霊場を行脚する巡礼者や都の貴人・官人、また幕末の新撰組なども行き来したから、その人たちが見た山々なのだ。

ということで歩き始めた。
「巡礼古道の代官坂と奥州古道の辻」、「鶴見川源水」、「京と東北を結んだ奥州古道と影取池伝説」、「棚原の館跡」、「小山田氏物語」、「都立小山田緑地」、「多摩よこやまの道 野草の素顔」、「多摩の尾根で出会う虫たち」、「奥州廃道(長坂道)」、「古戦場伝説と勝負塚」、そして東京国際ゴルフ倶楽部の脇を通る。


そこから道を間違えて多摩丘陵病院の方に曲ってしまった。どんどん行くと日大三高方面に向かってしまうので、途中で尾根を越えて「よこやまの道」に戻ろうとしたら、大きな霊園に出てしまった。

霊園では、墓石に言葉を彫っているのが面白かった。
「安穏」「慈愛」「楽園」「敬愛」「絆」「憩」なども文字が並んでいる。自分だったら、どういう言葉にするだろうか、、、。

そこから強引に峠を越えようとやぶ漕ぎを開始し登ってみたが断崖に突き当たり、退散する。
昼食をとる店も全くなくて、多摩丘陵病院の食堂を目指すが、日曜日で閉まっていていて、売店でおにぎりをほおばる羽目になったが、スリルもありそれはそれで楽しめた。

多摩よこやまの道の表示も分かれ道のところにはあるべきではないか。

多摩丘陵病院前からバスに乗って多摩センターへ。丸善で本を何冊か購入。
今日は多摩よこやまの道の三分の一くらいしか歩けなかったが、歩数では1万五千歩だった。

途中で、KDDIの敷地では太陽光パネルと風力を組み合わせた発電施設、ゴルフ場、白樺の木、大妻女子大、などをみる。歩いている人、自転車の集団、そしてあるところでは小型トラックの細い道を通り過ぎるなど、なかなか面白かった。再度トライして踏破してみたい。