今和次郎採集講義--今年最初の人物記念館の旅


今和次郎採集講義」という企画展が汐留のパナソニック汐留ミュージアムで開催中だ。
今和次郎(1888-1973年)は、「考現学」の創始者である。最近、〇〇考現学というような言葉がメディアで出てくるが、そのきかっけとなった学問である。何となく新しい感じの、ややいかがわしい感じの言葉という印象があったが、これは考古学を仮想敵とした概念だった。古いこと(昔のこと)を考えるのではなく、今現在を考える学問である。
今和次郎は、13歳年上の日本民俗学の父・柳田国男から「君の目がいいよ。俺と一緒に旅行して歩かんか」と誘われて、日本の民家を訪ねる旅を始める。柳田は新渡戸稲造らと一緒に民家研究の「白茅会」をつくって活動していた。この会には小説家の内田魯庵貴族院議員の細川護立、新渡戸稲造などがいた。東京美大出身の今和次郎は、この旅で盛んにスケッチをしてまわる。日本のほとんどの県に足を踏み入れている。これが後に民家研究の草分けとなる「日本の民家」(鈴木書店1922)に結実する。

1923年の関東大震災は様々な人の人生を変えていく。今和次郎の場合は日本の田舎を対象とした研究活動をしており、都会は大きすぎて手に負えなかったのだが、一面焼け野原と化した東京をみて研究対象を都市に変えるきっかけとなった。原始的な状態になってしまった東京の復興を細かく記録することにしたのである。人々の生活や風俗を克明に記録していく。これがきっかけとなって「考現学」が形をなしていく。
同時に今和次郎らは「バラック装飾社」を立ち上げて、日比谷講演公園内の開新食堂や東條書店など、震災後に次々に立ち上がるバラックに美しい装飾を施していく。

「本所深川 男の欲しいもの」「帯の色調査」「蟻の歩き方」「丸ビルモダンガールズ散歩コース」「茶碗のワレ方」「おしめの文様」「東京場末女人の結髪」「女のあたま」「井の頭講演自殺者地図」、、、、など驚くべきテーマで上手な絵とイラストを描きまくっている。見ていてまことに楽しい。

今和次郎は、26歳で早稲田大学の講師になり、32歳で教授、40歳で結婚、71歳で定年退職、85歳で亡くなるまで教壇に立ち続けている。この人はジャンパー姿がトレードマークだった。この庶民的な姿で現場を歩いていったのだ。

1940年に描いた「新時代の生活方向  家庭の各員の生活マジノ線を防御しませう」という図が面白い。
「家計」「主人」「主婦」「息子」「娘」「子供」「老人」「乳幼児」というタイトルで、それぞれが一枚の見事な図になっている。
今和次郎の仕事では、透視図や俯瞰図といったものに優れたものが多い。図解的な仕事をした人である。


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午前:トランスコスモス社の会長、常務、人事本部長がインターンシップ関係で大学に見えたので諸橋学部長と対応。
   豊田先生、今泉先生と履修モデルの件で意見交換。
午後:パナソニック汐留ミュージアムで「今和次郎採集講義」
夜:赤坂の森タワーで「文庫リレー講座」に出席。最終日の本日は寺島塾長。168人。
日本の帝国主義と米国のアジア進出の同時化・抑圧的寛容・無極化(全員参加型秩序)・金融資本主義の制御・空洞化からキャピタルフライトへ・川上インフレ川下デフレ・山本義隆秋田明大・分配の公正化の問題・資産家の没落とサラリーマンのゆでガエル化と生活保護者の増加・マネーゲーム批判・間違った戦争イラク戦争・解説的教養主義でなくあるべき方向感を提示する政策科学。、、。